父と子”人としての道を分ける発達過程”
非行に走る少年になるのはなぜ…そっから大人になるためにはどうすればいい
非行に走る子供がいる。それはなぜなのだろう。
大人になるにあたって、いや、人はなぜ成長するのだろう。
何もせずに育てられた子がなるのは、世間のイメージするような”大人”ではない。
世間がイメージするようなイメージ像から外れた大人なんて五万といる。
それは―引きこもり―と名付けられたり、―ニート―と名付けられたり、「犯罪者」と区切られたりする。
じゃあ、大人って何? つまりは、年をとっただけじゃ大人になれない。
なにか、価値観、区切り、行動を成してこそ大人なのかもしれない。
ということは、その価値観や区切りや行動を探ることになる。
ということは、それを知るための手がかりを見つけたいと思う。
ということで、作品世界の中に見つけられたいと願う物語を発見したので紹介します。。
闇金ウシジマくんの例
『闇金ウシジマくん』のふーぞくんを読んで。
ウシジマ「お前、素質あるよ。」
上野「うおっ…。」。。。。。。。
男「おい、どーした上野?」
上野「男に認められたの初めてだから…嬉しくて…」
ちょいとしたことから闇金ウシジマくんの事務所に入社するための試験を受けることになった上野(男)。
上野は与えられた入社試験において、何も考えたことないし流されて生きてきたって言いながらも、考えて、成功して、ウシジマに認められて、涙を流すわけだけど、そのときの「男に認められたの初めてだから…嬉しくて…」というセリフが印象的だった。
何がキーワードなん
ここからわかりたいのは
・男、試験、能力、挑戦、答え、認められる、一員、心配、社会、褒め、格上、力関係などのキーワードをもとにこの現象を読み解くこと。
といっても、たぶん、発達とか過程の本を読めばわかる気がする。→はよ
父、認められる、成長、挑戦、とか。
んで、そっから歴代の時代と社会において、それがどう散りばめられ、機能していき、発達を支えていったのか、もしくは散りばめられたキラキラを拾えずに落ちていって、透けた手があるのか。それを眺めて下に目線を落とした者が入るのか。その手をどう思ったのか。もしくはそれがわからずに苦悩したものがあるのか。果たして…って点。
人の世界と悪善の解かれ道
で、勝手に感じていることは、
たぶん、どこの世界にも、というか、どんな人間にも、虚ろになっている部分ってあって、それがどこにおいてどんな場面で触れさせてもらって解消できるかって、全然悪とか善とか関係ないんじゃないかな、だから、無である(と仮定した)人がどの場所で当たり前のことをこなすかっていうのは、人格や人生によって違って、悪にも人を助けられはするということだった。でも、悲しいと思うかは人それぞれ。裏社会でしか生きられなかった人、裏社会だったからこそ生きられた人、たくさんいると思う。
たぶん人間に必要なことっていくつかあって、それはどこにいようとも変わらない。
だったらそこから来る願いは、どうか、人が、命に肯定されながら、できたら苦しい思いなどせず、生きられられたらいいなあってことなんじゃないだろうか。
苦しみすぎて頭がおかしくなってしまうことは本当は良くないからね。
だったら本当は僕だって、ああ、彼女に振られた、ん―悲しい、でもまあ次があるか、くらいののりと生きる意味で生きられたらいかったんだけどなあ。
まあ、。
深く考えられなくてよかった。
だって一人だってことになる気がして。
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