【インタビュー】四肢麻痺の私がママになれた!多くの手に支えられて、みんなで育てる!私たちの育児スタイル 前編
30歳の冬、雪道で車がスリップ。そのまま車が林に突っ込むという自損事故により、頚髄を損傷(C6)。四肢に麻痺が残り、車椅子生活を送るりーこさん(40代)。現在、車椅子ママとして1児を育てる彼女に結婚から妊娠に至るまでのお話を伺いました。
ーーー現在どういう暮らしをされていますか?
りーこさん:家族は私と旦那と息子の3人ですが、私一人での日中の育児が難しいので実家との二重生活をしています。平日は実家で父母や弟に育児を手伝ってもらいながら暮らし、週末は旦那の家に帰って家族で過ごしています。
事故後6年間のリハビリ生活を経て自立生活ができるようになり、結婚しました。子どもは今3歳でやんちゃ盛りです。
何も言わず寄り添っていてくれた彼
ーーー受傷後、恋愛や結婚について考えられましたか?
りーこさん:旦那と付き合いだして1か月くらいでの事故に遭いました。当時は本当に恋愛や結婚について考える余裕が全くなかったんです。自分のことに精一杯で、別れようとかそういうことすら考える余裕がありませんでした。相手が別れると言えばそうしていたと思います。曖昧な記憶しかありませんが、彼の方から別れようという話もなかったと思います。
気づくとただ、そこにいてくれました。
私は恋愛よりリハビリで、彼はそれを支えてくれていたのかな?
ーーー結婚のきっかけは?
りーこさん:だんだん自立生活が送れるようになるにつれ、2人で旅行したりお付き合いらしいこともできるようなりました。付き合いも長くなり、ある時彼の方から「結婚しよう」と言われたので、相手にその気があるのなら結婚してもいいんだなとOKしました。彼にも特に悩む様子はなく、自然な流れで結婚しました。周りからは優しい彼だねと言われたいましたがどうでしょうね(笑)
周りのサポートで母になることを選択できた
ーーー子どもを持つということに不安はありませんでしたか?
りーこさん:子どもはもともと怪我をする前から欲しかったんです。事故後「赤ちゃん産めるよ」と言われましたがピンとこず、産むと子どもが可哀想なのではないかと考え、諦めていました。
結婚して看護師さんや色んな人に「子どもどうしたい?」と聞かれました。欲しいけど…不安しかない。そんな状態でした。
育てられるのかという不安は大きかったです。何せすべてが未経験。何ができて何ができないかの想像すらつかないんですから。怪我をする前に姪っ子の面倒を見たことがあり、それを思い返すとあんな風にはできないなぁって…。
ですが周りの人たちがみな、「大丈夫!大変かもしれないけれどサポートするよ!」と言ってくれ、旦那も子どもが欲しいと言ってくれたので、授かれるんだったら私も子どもが欲しい!と思えるようになりました。
ありがたいことに色んな人に背中を押してもらえました。
妊活をはじめればすぐ授かるものだと思っていたのになかなか授かれず、やっと授かったと思ったら最初の子は流産でした。それからなかなか妊娠せず、これでダメなら不妊治療をはじめよう!そう決意した矢先にやってきてくれたのが息子です。
妊娠中も不安でした。無事に育ってるのか、無事に産まれてこれるのか……。
母には特に怪我をしてからずっとサポートをしてもらっています。子どもが生まれてからは父や弟も様々な場面で手を貸してくれています。頭が上がらない反面、自分でできない上に伝わらなかったり、そうじゃないんだけどなという歯がゆさからイライラしてしまうこともありますね(笑)
まとめ
りーこさんありがとうございました。
頚椎を損傷し、四肢麻痺。やっと手に入れた自立生活。それが妊娠出産でどう生活が変化するかわからないから不安しかない…そう思っていた気持ちを変化させてくれたのは、周囲の人の「サポートするよ」というあたたかい言葉だったのですね。
次回はそんなりーこさんの妊娠・出産についてのお話を伺いたいと思います。一体どんな妊婦生活だったのでしょうね?
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