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僕にしかできないファッション×パリ留学を求め、行動を起こし続けた結果、最高の体験に。

★今回は2021年3月に卒業した学生のブログです★

みなさんこんにちは!
ファッション大好きRikitoです。

僕は2019年2月~7月の約半年間、好きなことの為に存分に時間を費やせました。この半年間はこれまでの人生の中で、最も貴重で、最も興奮し、最も高価で、最も危険を感じ、最も早く過ぎた半年間でした。こんな濃密な半年間は、これまでもこれからも人生で一度きりだと言い切れます。

2月初旬の出発日早朝、関西国際空港には10人を超える大学・高校の友人と僕の家族が総出で見送りに駆けつけてくれました。それほど僕が単身フランス・パリへ留学することは自分にとっても周囲にとっても一大イベントだったんです。それにしても多くの人が来てくれたので、自分が英雄にでもなったかのように自惚れ、慢心で出国しました。

およそ13時間のフライトを経てフランス・パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着後、携帯には電波がなく、日本語の案内もなく、一人も知り合いがいない異国での生活がスタートしました。
不安は多くありましたが、やはり最も大きかった壁は言語の壁でした。当たり前のことですが、フランスに行くと日本語は通じません。英語を話せる方はいらっしゃるのですが、まず僕は英語が苦手です(笑)。

そこでコミュニケーションをとるにはフランス語を話す必要があったのですが、僕の留学当初のフランス語力はA-1(簡単な言葉を伝えられる程度のレベル・一番下のレベル)で、僕はまず話者の言うことが理解できず、更に僕の片言のフランス語は伝わらないので、もちろん彼らとの会話はカオスです。

僕はこの言語の壁に盛大にぶち当たり、渡仏直後の最初の一週間は自室に引きこもっていました。正直ふがいなさもありましたが、異国で一人で生活するということはそれほどまでに恐怖を伴うことでもあるのです。

しかし、僕は「パリにいられる期間は半年しかないんだからこうしている時間はない」と思い立ち、とにかく行動を起こす事を決めました。
するとそれ以降の時間はあっという間に過ぎていきます。もちろん言語の壁以外にも日本とのカルチャーショックも食らいました。

例えば、スーパーの店員さんがめっちゃ素っ気なかったり、夜行バスでCHINOIS・CHINOISの大合唱を食らったこともありました。しかし、これくらいのことは慣れます。それ以上に留学を楽しんでやるという気持ちが強かったのです。

留学生活が1ヶ月ほど経ち少しずつパリでの生活にも馴染み始めたころ、僕は留学に対するマインドを変えました。それまでは留学においては「言語を習得して、フランス語を上達させること」を第一に考えていました。

しかし、そんな目標は留学に行っている学生なら誰にでも達成できる通過点です。だから、僕は「僕にしかできないパリ留学をすること」を目標にしました。そこで僕が留学と結び付けたのが「ファッション」です。僕はファッションが好きでフランス語を学び始めたので、自分の原点でもあるファッションとパリ留学を結び付けることにしました。
目標が定まり、ここからは僕にとっては非常に行動がとりやすかったです。

まず始めたのは、「街角スナップ」です。
することはとても簡単で、パリにいるおしゃれな人に声をかけて写真を撮り、インスタグラムに投稿させていただくというものです。これはとても単純ですが、現地の人とコミュニケーションをとることもでき、言語力アップすることもできるし、繋がりができる、とても有効な行動でした。

「写真日記」も始めました。インスタグラムに関してはスナップと同時に行っていたことがあり、毎日パリの風景や人や料理の写真を一日一枚投稿する写真日記をつけることです。これは写真を一日一枚は必ず撮らなければいけないという義務を自分に科すことによって常にアクティブに自分が行動するために非常に重要な役目を果たしていました。

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その他にも「うどん屋でアルバイト」もしました。
「さぬき屋」といえばパリでは超有名なうどん屋で連日行列ができています。僕はそこでホールスタッフとして働きました。
バイト先にこの店を選んだのは単に言語力の向上だけを目的にしたのではなく、ファッションに関する理由がありました。

このうどん屋にはパリコレに出演するモデルさんや来場者が頻繁に来ることを耳にしたので、有名人やパリコレ関係者と会えたり、あわよくば繋がりができるのではと思い、働きました。

これが本当に最高の選択になり、多くの貴重な体験のきっかけになりました。アルバイト中に韓国の超有名モデルさんが来られたり、僕が大好きなスタイリストさんとお話させていただけたり、さらにそこで知り合った日本人の男性モデルの方とは今でも仲良くしてもらっています。
正直ここでのアルバイトがパリでの生活をとても有意義なものにしてくれたと言っても過言ではありません。

さらに「フリーマーケットに出店」もしました。
留学中の休日の日課は朝早くから蚤の市やフリーマーケットを回って掘り出し物を探すことでした。毎週末いろんなフリーマーケットに行っていましたが、そこでも多くの繋がりができました。
そこで仲良くなった友人が一緒に出店しようと提案してくれ、僕は日本から持参していたリサイクル着物10着を彼と一緒に出品し実際に販売しました。
異国で日本の伝統的なものを販売するのは、誇らしさもありました。

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そして、ついに「パリコレ」を観覧することもできました。
僕の留学生活が4ヵ月ほど経過した6月、パリではメンズファッションウィークが始まります。この期間は本当にパリのいたるところにアパレル関係者がいて、僕にとっては最高の一週間です。
僕は、それまでに得た語学力、人との繋がり、パリの街に関する情報、根気(笑)などを駆使し、なんと4つの憧れのブランドのショーを観覧できました。

そこは、僕にとって夢の場所でその空間にいる人達はみんなが僕にとって憧れの存在でした。さらにショー会場で出会った方の紹介で日本人デザイナーのヨシオクボさんともお話をさせて頂きました。まあ、実際ショーに入れるブランドは限られており、多くのショーは基本的には入れないので、とにかく足で情報を集め、ショー会場を特定し会場前で来場者のスナップ撮影などをしていました。その際にもインフルエンサーやデザイナーなどいろんな人を撮影でき、YouTuberのKEMIOさんとも一緒に写真を撮らせていただきました。

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すべてが初めてで最高に貴重な経験ができた一週間でした。
これも自分が留学期間中に何がしたいかを明確にし、行動を起こし続けた結果だと自負しています。

しかし、こんな僕でももっと早く行動をしたらよかった、もっといろんな人と話せばよかったなどという後悔は本当に多くあります。だからこそ、これから留学を検討される方には自分が留学へ行って何がしたいのか、自分にしかできない留学を実現するためには何をしておくべきかを明確にし、人生で最も刺激的な時間を送ってほしいと思います。

僕の拙い留学自慢話を最後まで読んでいただきありがとうございました。

Rikito