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“日本人、21歳、ろくに中国語も話せない私“のコロナ禍奇跡の台湾留学体験記

人間健康学部3年生のWakanaです。
2020年の2月から、約半年間台湾の「静宜大学特別留学プログラム」に参加していました。
私が留学を開始したのはちょうどコロナ禍の始まりのころ…。コロナ禍での台湾留学体験記を書いていきます。

1.モヤモヤが留学のきっかけ
「大学生活、このままでいいんかな?」
大学2年生のころ、そんなもやもやが自分の中で大きくなり、気づけば日本を飛び出していた。将来、自分はどんな人間になりたいか考えたとき「与える人になりたい」と思った。
「日本人、21歳、ろくに中国語も話せない私」が、台湾で何ができるのか。
将来は、台湾で出会う人々、日本で応援してくれている人々に何かプラスになることがしたい。おっきい人になるんや。そんな想いを胸に台湾へ旅立った。

2.台湾留学withコロナ
2020年2月、私の台湾留学はスタートした。あと数週間遅ければこの留学も中止だった。

台湾は、以前SARSで多数の犠牲者が出ており、早い段階からコロナ対策を徹底していた。マスクをしていないとバスに乗れない、検温をしないと建物に入れないなど。
そのおかげで台湾はコロナの封じ込めに成功した。

3月に入り、やっと授業が始まりだした頃、東京の大学から来ている日本人留学生やアメリカの留学生が大学から帰国命令がでた。
台湾の感染症危険レベルが3に上がる頃には、私の周りの日本人のほとんどが帰ることになった。そして、ついに関西大学からも帰国の指示がでた。
このまま何もかもが中途半端なまま日本に帰るという選択肢は私の中に一ミリも無かった。
応援してくれている家族、留学費用、資格を諦めたこと、台湾より何倍も感染者数の多い日本にわざわざ帰るメリットは何ですか…と。自分で決めた留学、何としてでも最後までやり切りたかった。

国際部の方の柔軟な対応、私の意見を尊重してくれた家族、日本から相談に乗ってくれた友人達、沢山の支えのおかげで「たとえ一人になっても留学をやり遂げてやる!」と決意することができた。

留学生活では、「勇気を出して一歩踏み出せば、必ず学びや出会いにつながる」そう信じ、いろいろなコミュニティーに飛びこんだ。日本語の授業のボランティアや、サークル活動、留学生に向けたイベントなどに積極的に参加した。
中国語でのプレゼンテーション、Farewell Party でベトナム人の友人と歌を発表するなど、人前で発表することにもたくさん挑戦した。どの活動、発表も本当に沢山の人が支えてくれた。半年しかない留学生活、この場に残れたからには全力でやりきると決めていた。

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↑ Farewell party でベトナム人のピンキーと中国語の歌を発表した時

3.静宜大学での留学生活
平日は、朝9時~12時まで中国語の授業を受け、午後から別の授業がある日は、授業を受け、夜は日本語を教えるボランティア活動や、ギターサークルに参加した。
毎日授業で脳を使うからか、昼休みに昼寝をするようにしないと午後からの授業がとても眠かった。
寮は、台湾人の女の子二人と住んでおり、宿題でわからない所があれば快く教えてくれた。

授業に関しては、成功談と失敗談のどちらもある。
成功談は、留学生向けの授業を履修した。その授業のおかげで、様々な国の人と友達になれた。また、現地の高校生との交流など貴重な経験ができた。

失敗談は、英語の授業を履修したことだ。私は英語が出来ない。
この留学で英語もできるようになりたいと思っていた私は、英語初級の授業を履修した。

先生の説明は、すべて英語。質問したくても英語も中国語も話せず、提出物、テスト範囲、何もわからなかった。
テスト中に固まっている私を見て先生が「こう書いたらいいよ」と言ってくれているけれど、最後まで何もできなかった。自分の力にあった授業を履修しないと、精神的にもしんどくなるし、学習時間も考慮して中国語の勉強に集中することにした。

そのおかげか台湾に行く前は中国語を全く話せなかった私だが、半年間の留学で、TOCFL(台湾華語能力試験)level3」に合格することが出来た。台湾の友人と簡単な会話もできるくらいには成長した。成し遂げたいことがたくさんあるときは優先順位をつけて、目標を見直すことも大切だと学んだ。

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↑ 最後の中国語の授業の日、クラスメイトが手紙やプレゼントをくれた!

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↑ 友人と台南へ旅行に行った時

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↑ クラスの代表として中国語でプレゼンテーションをして賞状を貰った!

4.留学生活から一人の人間として学んだこと
私がこの留学生活で学んだことは、
・みんな違ってみんな良い。
・自分のことは自分が一番愛してあげるべきだ!
・オープンなマインドでいれば言葉が伝わらなくても通じるものがある。
・自分の「好き」を持つことが大切。
ということだ。

台湾では色んな国の人と出会った。共通して人を惹きつけるのは、等身大で人生を楽しんでいる人達だ。
また、自分の「好き」を持っている人は、その「好き」をツールにコミュニティーを広げることができる。コミュニケーションのツールは言語だけではない。
私は好きが高じていろんな人と繋がりさまざまな経験ができた。これからもっと沢山の出会いや経験が得られるように「好き」を増やそうと思う。

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↑ 「写真を撮らせてください!」から始まり、村長さん達の集まりに混ぜてもらった

5.台湾でできた将来の夢
私は、将来、ゲストハウスを運営したいと考えている。
留学中の長期休暇に10日程1人で台湾一周旅にでた。宿泊費削減のため各地の安いゲストハウスを転々とした。その時の出会いや経験から、「お金じゃ変えない価値 → 人との出会い・経験」「出会いの窓口 → 人と人、人とアイデアを繋ぐ」「居場所作り → 強制されない空間」を目指したゲストハウスをつくりたい。
「今の時代だからできない」ではなく、「今の時代だからできること」って何だろう。
「こんな未来があったらいいな」を目指して。

私達は、大学生だ。今経験して、感じたこと、学んだことが直接的に将来設計に活きてくる。コロナのせいで制限されることはあっても諦めたり、それを言い訳に逃げたりすることの無いように、強く生きていきたい。

今回私がこのコロナ禍で、留学をやり遂げることができたのは、本当に奇跡だと思う。
関西大学、家族、友人、静宜大学の先生や友人が、私を支えてくれたからやり遂げることができた。
数え切れないほどの大切な思い出と「好き」に出会えた。
「日本人の、21歳の少し中国語を話せるようになった私」は、この先出会う人々に「君と出会えて良かった」と少しでも思ってもらえるような、そんな人間になる。

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↑ 台湾一周している時に泊まったゲストハウスのスタッフのお姉さんが連れてきてくれた熱気球フェスティバルの写真

wakana