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藤井風の新曲の解像度を上げる為に「四月になれば彼女は」を見に行ったお話

2024年3月22日金曜公開、「四月になれば彼女は」を早速見に行ったんですが代えのマスクを持って行って良かったと思うくらいには泣きました。

私がこの映画を見ようと思ったきっかけ、それは藤井風にある。

個人的見解なのだが、曲との出会い方は重要なのである。
「映画の主題歌として」なのか、「その歌手のいち曲として」曲を認識しているかは、言うなれば思い入れの引き出し先が変わってしまうのである。

例えるならば、「長年行ってみたかった富士山、遥々路線を乗り継ぎ山を越え谷を越え、汗と涙の結晶である山頂で食べるラーメン。。。しかし私は痛恨のミスを犯した。箸を忘れたのである。その時隣にいた阿佐ヶ谷似のマダムがほほえみ、『お箸、あるわよ』と言った」
のと、
「夕方値引きシールを狙いハゲタカのような目をした主婦たちにまぎれネギまの20%割引を狙っていたところ、誰かが私の肩をたたいた。振り返ると阿佐ヶ谷似のマダムが『あっちのイオンのが安いわよあんた』と言った」
くらいの差である。
後日どちらの阿佐ヶ谷が美しい思い出になるかは歴然だろう。シールでアンケートを取ったら前者のボードがシールで文字が見えなくなるところだ。

もっと簡単にすれば、エンダーーーーーーーイヤーーーーを聞いて
パン君を思い出すのか
ナイスガイを思い出すのか
である。

そんなわけで、私は藤井風の新曲であり、上記映画の主題歌でもある『満ちてゆく』を、『四月になれば彼女は、の満ちてゆく』にすべく映画館へと歩みを進めた。

感想

原作を読まずに映画を見たので見当違いの感想もあると思います。悪しからず。

これ誰の問題だ?誰の何が解決したらいいんだろう?

佐藤健が諸悪の根源では?
と途中から考え始めてからは話が頭に入ってこない。
結婚前から既に愛が薄れるあほは一度反省しても数年もすればまた繰り返すぞ。。。弥生よ大丈夫か。。。それに結婚相手の妹、飲み屋のマスター、仕事の上司みんなに「弥生のことそんなに好きじゃないでしょ」と言われる始末。
大好きな相手とすら別れてしまうこの世の中でその程度の好きなら続かんて。

そもそも恋人と別れてからも(しかもその理由も二人の不仲とはなんも関係ない病みパパが原因)無茶苦茶消化不良で引きずってるやん。。。
二人の障壁病みパパが解消されたらマッハでよりもどしそう。。。。
あんたほんとに弥生のこと好き?弥生だって『もう治療はいいです』って俊が仕事モードで弥生自身に興味持ってない事を気付いていたやん。。。

愛について

「愛を終わらせない方法、それは『手にしない事』」と弥生は考えているが、私は弥生にとって愛は消耗品であると捉えているからだと思った。

物欲と同じく、ほしいとおもって手にしたものは、まず手にした瞬間に所有欲は満たされ、数年もたつと目新しさもなくなってくる。そして飽きて、雑に扱われたり、捨てられたりする。

彼女は自分自身とその気持ちも、そうやって消耗していくのだと恐れていたように見える。

しかし愛というものは減るものではないと思う。愛は充電式で、補給が可能なのである。
その補給するための努力を双方に怠ったと劇中では言っていたのだが。。。

先ほど公式サイトの藤井風コメントを読んだところ

愛は求めるものではなく、すでにたくさん持っているもの。

与えれば与えるほど、「満ちてゆく」もの。

https://4gatsu-movie.toho.co.jp/

だよね~~~★
愛って分配制チャージ式だよね~
とハイタッチを交わした(こころで)

愛は見返りを求めない

上記の通り端的かつ指摘に藤井風がコメントをしてくれているので、私がつらつらと駄文を重ねる意味がなくなりつつあるが筆は止めない。

弥生は別にキリンから葉っぱをお礼にもらったり、カバから微笑みかけてもらったり、『いつもありがとう』と肉球の寄せ書きをもらわなくても結婚したいくらい動物を大切にしている。

私も藤井風を1000回聞いても彼の誕生日パーティーにも呼ばれないが、だからと言って聞く事を止めないし宣伝もしていくだろう。

弥生は彼に愛という見返りを求めていたのではないか。愛するということは、相手が何を返そうと返さまいと続くものではないのか。それとも、基本的には動物はお返しなどしない生き物だ。という気持ちが初めから期待を捨てさせているのか。

弥生は俊の事を愛していたのか。それとも、愛されたいから愛していて、愛が消える事で愛する事ができなくなったから離れたのか。

うーむ原作を読みたくなってきた。

春の手紙には『私は俊が消えてしまうような気がして怖かった(あやふや)』といっていて、この作品の中で愛というものはとても儚いものとしてあつかわれている。

『満ちてゆく』を映画を見る前/見た後の変化-歌詞より-

重ねあう日々

→春からの手紙

手にした瞬間に無くなる喜び

→『愛は手にしたらなくなる』という弥生の考え方

愛されるために愛すのは悲劇

→作中の登場人物たちの考え方


藤井風好きとしての感想


私が監督なら、映画を終わらせてから

ドゥーン(ピアノイントロ)

と始まって、音だけをしっかり聞かせたかった。

満ちてゆく 感想

以前より声が太くなり、奥行きが増したように思う。
シンプルに歌が上達した。低温の響きに厚みがでて表現の幅が増した。万歳。
聞くヒーリング、耳から入れるタイプのCHILL OUT
サビの音の重なりで天国が見える。コーラスの襞は天女の衣。
リリース日から多分除夜の鐘の二乗は聞いた。

さて、果たして私は当初の目的であった
『満ちてゆく』を、『四月になれば彼女は、の満ちてゆく』にできたのか。。。

映画視聴後に曲を聞いた時、脳内に流れる映像は
二人のカップルでもキリンでもウユニ塩湖でもなく

おじ風でした。

おじ風:おじいちゃん藤井風

映画を見る前に『満ちてゆく』を聞きすぎた影響だろうか。
仕事に使う道具は、どんなに好きなデザインでも見ると憂鬱になるように(私的意見)、もう沁みついた印象は払しょくできそうにない。

印象を変えるなら、映画の視聴後に初めて曲とご対面するよう我慢するか、
『四月になれば彼女は』を除夜の鐘の2乗回見るか だ。

どちらが効率的か


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