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短いの

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短いの。140文字。
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ノートで人気のある投稿には、「その人が既に人気があってうんことつぶやいてもいいねがくるぱたーん」と、「シンプルに人に興味を抱かせるタイトルを作るのが上手な人」がいて、後者のタイトルを参考にしないと一向に「おっかしいなぁいいねがこない」となりかねない。と思ってるよ、

文章なんて誰でもかけるなんていうと誰かに首を絞められそう、そこの夏休みの宿題で最初の一行から言葉が出てこず白紙と向き合って小一時間経過している坊主なんかにね。それでもその坊主とおしゃべりして、その坊主からぽつりと出た言葉を文章に起こしたら、きっと凄くいい文章になっていると思うの。

もうすぐ一年が終わり、また来年がくる。 くるのか 向かうのか 来るのを迎えるのか、人によって捉え方は様々で、そして自分にとっては「来る」なのである。なぜか。 それは、来年、また来年と年を重ねて老いるのが怖いのである。 代り映えのしない一年を繰り返してしまう事におびえている。

過去の自分の文章を読み返してみると、何言ってんだってことばかりのっていてびっくりした。でも今から書く文章もまた、数年後には何言ってんだって自分に思われるのかな。 なんだか同じ人間なのに、理解できなくなってるって凄く嬉しい。 それだけ考え方が変わったんだなとわかるから。

ここまで心を全開にして物を書いたら、怪物のような恐ろしく禍々しい黒い物体が文字から見えるようで、怖い 誰かの心臓を食べて生きるようなものを、人に差し向ける恐怖。 手綱を持って、抑えた方がいいのかと思う気の迷い。 反対に怪物は暴れる。 思う存分に暴れたら、怪物のトレーナーは満足か。

涙がほほを伝って落ちた時にはもう次の予定を考えていた。 もはや悩み、傷つきの限界値を超えたからなのか 実はそれほど悲しくもなかったのか 悲しいよりも他の感情の方が強いからなのか 随分と頑丈になったもんだ と、心に対して驚く。 そばに寄り添って、座ったり踊ってくれるのはいつも貴方

私にとっては、一曲魂を揺らす曲を生み出した人は永遠の尊敬する人となり、その尊敬がなくなる事はない。

私のあばたもだれかにえくぼと言ってもらえるのだろうか 考えてみたら、自己肯定は個人で完結するけれど、「あばたもえくぼ」がなりたつには、「あばた」を「えくぼ」と承認してくれる他者が必要なのか? それとも、自分の思う「あばた」を「えくぼ」と言い切ってしまっていいのだろうか

あの人の目を見たくないっておもったとき、 横から見るの 意外と綺麗で、いい気分

さわやかなメロディーで哀愁のある歌詞 ばかばかしい映像にシリアスな歌詞 こういう「中も外もおんなじではない」ものに惹かれる チョコポテチ理論 これを生かしてみたらいいのかな

人の痛みは同じことを経験しないと分からないし、たとえおんなじことをおんなじ様に経験しても、ひとが違ったらおんなじではないんだよね。 どこまでがんばっても、分かってあげたいどまりで、それより先は、想いでカバー

百の健康小技より、1人の推し 百のシップより、推しのひと笑顔 動物のバラエティー1時間に一分で追いつく推し 推しは最高のホルモン分泌法

管理しきれない情報量は、もはや作成者が飼い主とは言えない。 リードから離れ、柵から出た言葉たちはあちこちへと駆け回り始める。 しかし、飼い主はいくつかの言葉たちが柵から出たことにすら気が付かないのである。

死ぬほど悲しい経験は巡り巡って誰かを助ける こんな思いしたくなかったと、その時は心から思うけれど、いつか役に立つ 自分の役にか、誰かの役にか。それは分からない