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日々の食事の支度の日々

 7時半から8時ちょっと過ぎの間に父が家に帰ってくるので、それまでにご飯を作らなければならなかった。母は仕事で遅く、姉や兄はどうしているかわからない。兎に角、父が帰ってくるまでに作り準備しなければいけなかった。

 母はいつも、あなたがしなかったら一体誰がするの?と言って私にいろいろな用を言いつけた。自分は仕事でいないから、その代わりに家のことを回す人が必要だったのだ。たとえ、週に2回家政婦さんが来て食事の支度と家の掃除などをしてくれても、彼女が来ない時は誰かが家族の面倒を見なければならない。

 学校から帰ってきて、塾でのテスト準備や宿題を終わらせて、塾に行く日は塾に行く前に家族全員分の食事の準備をする。塾のテストは80点以下を取ると追試になって、夜の10時半頃まで残らねばならない。塾がないときは、父が帰ってきたら父に食事をさせて後片付けまでがセットになる。もちろんその後はお風呂を作るとか食事の後片付けなどもあるけれど。一番面倒臭くて嫌なのは、お天気屋の父の相手をしなければならないことだ。

 お天気屋の父は、機嫌が悪いを何かと理由を探し出して突然怒鳴り出したり、挙げ句の果てに私が悪い体で暴力を振るったりする。その理由はなんてことはないどうでもいいことだ。

 家で一人でいる時は基本玄関の鍵をかけていたけれど、父は自分で鍵を持っていても決して自分で開けない。必ずインターフォンを押して私が開けるまでは自分で入ってこない。私がいない時は私はいないので分からないけれど、私がいるとわかっている時はインターフォンを何回も鳴らして、開けるのを待っている。食事の準備中だとわかっていてもいつもそうだ。

 鍵を開けて家に入ってくると着替えに行って、テレビをつけて大抵はテレビの前に横になってテレビを見て、食事ができるのを待っている。私が食事の支度をして後は食べるだけという状態にして父を呼ぶと、機嫌が悪くない時は食卓に来て食事をするが、機嫌が悪い時は無視する。聞いていないのか寝ているのかわからないので何回か読んでも返事がなくて、近くに寄って起きているのを確認して声をかけて、その時に父の期限が悪いと物凄い大きな声で怒鳴られる。

 怒鳴られる度に、母に言われたように父の食事の支度をして、食事の支度ができたから食べるように言っただけで、返事もせずに無視した挙句に取らられる理由がさっぱりわからなかった。大抵、怒鳴られるとそのまま私は自室に避難して悲しいわ悔しいわで一泣きした後に少し眠り、父はいつの間にか食事をどこかへ出掛けて行ったり、そのままテレビを見たまま寝落ちして、いつの間にか母が帰ってきてなんとなく雰囲気が戻ってきていたりした。父がどこかへ出掛けた上に兄も姉も外食して帰宅せず、誰も手をつけなかった食事を結局作った私が全て回収して冷蔵庫に片付けることも多かった。

 お天気屋で機嫌の悪い父の相手をして、食事が準備されていることが当たり前な上に、食べなくても何も変わらない姉や兄の食事の支度をする理由が全くわからなかった。

 そんな生活が少なくとも中学1年から高校3年までの6年以上は続いていたと思う。よく覚えているのはこの間の塾と学校と家のことのルーティンだ。いつも考えていたのは、家で怒られて怒鳴られて殴られたりするか、塾で怒鳴られてそのとばっちりでまた家で怒られるか、塾と家のことで学校のでの行事の準備などに参加できなくて、ハブられてイジメっぽいことをされてクラスで困ることだけだった。

 そんな生活だったけれど、兄や姉には私だけは父と母に贔屓されて甘やかされていると言われていて、私のどこが一体贔屓されて甘やかされているのかさっぱりわからなかった。この時の兄と姉のどこからかくる妬みはずっと続いて未だにある。

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