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機能不全家族とヤングケアラーと

「俺も息子の〇〇がもっと大きくなってなんでも出来るようになったら、料理とか家のこととか全部教えて全部やらせて、その間に俺は年に二回くらい一人で海外旅行に行くんだ」
 と兄が楽しそうに話していた。彼は今までに二回ほど一人でバックパックを背負って1週間ずつくらいの放浪の旅のような海外旅行に行っていた。

 ある程度の年齢が行っても年に二回ほど一人でバックパックの旅に出たいという気持ちは理解できるけれど、そこで自分の息子も私がしていたように母が仕事で忙しく仕事をして学生が夏休みなどの長期の休みの時は、自分の学生を連れてアメリカなりカナダなどに語学留学のために学生を連れて行き、夏休みが終わることに帰ってきていた。

 その間はどうしているかというと、週に二回は家政婦さんが来てくれて、家の掃除と父の洗濯とその日の食事の支度をしてくれていたけれど、それ以外の日は毎日の食事の支度と生活を回すためにゴミを捨てたり、食事の後片付け、お風呂の掃除やお風呂の支度などの様々な家事を私がしていた。母が海外に行く前に一ヶ月以上分の食事用のカレンダーを作りあらかじめメニューを決めて冷蔵庫の前に貼ってあった。食材用のお財布はいつもの引き出しに入っていて、それとは別にまとめたお金も別のお財布も置いてあった。私以外の家族は母がいないだけで生活は普通に回るようになっていた。夏休み頼まれた全てのことをこなすと少しお小遣いが多くもらえたけれど、いつものお小遣いの倍くらいの金額だ。

 家族は私が家のことを回すのが当たり前だと信じていた。

 昔から具合が悪くなることが多かった。正露丸やノーシンを頻繁に飲んでいた。ノーシンなどは一月に一箱ぐらい飲んでいたと思う。お腹や頭が痛くて動けずに横になっていると、姉が部屋に入ってきて風呂の準備をしとろ怒鳴りにきた。お風呂なんて自分で洗ってお湯を入れればいいだけなのに、何も具合の悪い私が彼女の必要性に応じてしなければならない理由がさっぱりわからなかった。

 そんな生活がずっと続いて、兄の結婚式の時に兄の招待客としてやってきた人が私に楽しそうに言った。
「〇〇さんがよく話していた妹さんですね。よくみんなで夕ご飯を食べに行くときに、妹さんに電話しないと怒られるって言ってましたよ。」
それを聞いていた姉も同じことを言っていた。
「私も妹に電話しないと怒られるって言ってよく外食に行ってたんですよ」

 兄も姉も父も自分たちは自由に好きな時に連絡をせずに食事に出ることは可能だったけれども、私にだけは許されなかった。たまに私が出かけるから食事の支度はできないというと、母には大概「あんたがしなかったら誰がするの?」と言われ続けていた。

 そして食事の用意だけして誰も戻らない食卓の上には、帰宅しても全く片付けられることのない食事だけがテーブルの上に残されることになる。毎日一人で食事の支度をして、誰も食べない時は私が片付けていた。私は一体なんのために家族の面倒を見るという名前だけの仕事をしているのだろうと思っていた。

 最近になってSNSで世の中の奥様方が旦那が食事が必要ないという日にも連絡をしないで帰ってこないということに対して怒りのメッセージがおもていでるようになって、私もあの頃はもっと怒って良かったんだなとぼんやりと思う。

 最近のヤングケアラーの話は、機能不全の家の事情とそうではない問題と複雑な問題が絡んでいて文科省はそういうのもきちんと把握しているのかなと思う。文科省は、家族内で決めた役割が当然のものだという家族内の集団意識みたいなものと戦う覚悟があるんだろうか。それともただヘルパーを雇えばいいと思っているだけなのだろうか。


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