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小さな一歩

 2022年12月15日、3年生のピッチプレゼンを見ながらの感想である。1年間、3年生は個人的に自分なりの越境を実施しており、今までの越境の中感じたことや、自分の主な越境先を紹介をかさなって、プレゼンでアウトプットを行った。3年生のプレゼンの中で、登場した特徴的なスライドは、1年間自分が行った越境と越境先を全部記入したスライドであった。それを見た私は驚きを隠せなかった。ほとんどの人が1年間、約15回以上越境を行ったのだ。だが、みんな自分の主な越境は決まっており、何を感じていたのかがはっきりしていた。
 なんでだろうと思ってたら、みんな約15回以上、様々な越境を行っていたことに気づいた。越境ということは、自分にとってのアタリマエな考え方・モノの見方を見つめ直し、自分が進むべきの方向や、目指したい未来像を探すことである。このように今までの人生でずっと持っていた考え方やモノの見方を一夜に変えることはほとんど不可能である。そのゆえに、経験が重要になってくるのだ。
 私にとって越境はまだ、直感と好奇心で動く段階であり、まだそれを実際にアウトプットしたり、知り合いを増やしていく段階ではない。実際に、越境を行ってみたが、その一回で自分の主な越境はこれだと確信はできない。もちろん、そうだろう。その一回で自分にとってのアタリマエな考え方やモノの見方が変えられる訳がない。特に考え方は持ったまま10年以上くらしており、その考え方をもとに現在を生きる方向を決めている。そのようなものを一気に変えられるわけがない。越境は何回か重なってから見つけるもので、越境を通じて自分が何を感じたかが共通項になってからこそ、越境しているなとなると思う。越境って、最初の一歩が出しにくく、その越境が続くのかも限られない。でも一歩を出して、それでまた一歩を出して、それでまた繰り返していくと、いつの間にかは越境の回数を重なっていき、いつの間にか自分が何を感じているのかがはっきりするようになるのではないだろうか。越境という単語自体を見て挑戦するのを恐れるのではなく、その小さな一歩を出してみて、それをまた次に繋げてから越境になるのではないか


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