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ウフィッッイ美術館 その2

★サンドロ・ボッティチェリ ウフイッツイ美術館 フィレンツェ


 今日から何日かかけて、『ルネサンス』の巨匠に数えられる『サンドロ・ボッティチェリ』とその作品についてお話ししたいと思います。

 彼は、1445年にフィレンツェに生まれています。兄の『アントニーオ』が金細工の工房に弟子入りしていたので、『サンドロ・ボッティチェリ』も、この工房にかかわっていたと推測されています。

 1464年ごろからは破戒僧『フィリッポ・リッピ』の工房で学んでいました。

 さて作品を見てみましょう
『ユディットの帰還』 『ホロフェルネスの遺骸の発見』 1470年頃


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「ユディット」の物語は前にも触れましたので簡単に説明します。

 ユデットの住むベトリアはアッシリア軍に包囲されます、ユディットは単身敵陣に乗り込み敵将の寝首を掻きます、大将を失ったアッシリア軍は撤退します、こうしてユディットはベアとリアを救いました。旧約聖書のお話です。

 この作品も、『ピエロ・デ・フランチェスカ』の『ウルビーノ侯爵夫妻』と同じように「デイプティク」(二連画)でした。

 この作品は『ドルフォ・シリガッティ』から大公『フランチェスコ1世』の第二婦人『ビアンカ・カッペッロ』への寄贈品であったとの記録が残っています。

 『サンドロ・ボッティチェリ』がまだ20代前半の頃の作品ですね、

 私は、この作品にみられるように、現代のイラストを思わせるような軽いタッチが好きです。

 『ユディット』はフィギュアにしたら人気が出そうなキャラクターですね。

 そして一転して『ホロフェルネスの遺骸の発見』では、かなり写実的で生々しい彼の遺骸のギャップが面白いと思います。

 そしてこの二枚に共通して言えるのは光の使い方ですね、『ユディットの帰還』では、光が剣を持ち胸を張って、『ベトリア』に凱旋する彼女の足から腰のあたりに日が当たり、よりそのイメージを鮮明にしています。

 いっぽう、『ホロフェルネスの遺骸の発見』では、首を討たれ無残に横たわっている『ホロフェルネス』を含む全面に強い光があたり、遺骸をより克明に映し出しています。
 天幕の隙間から外が見えて、奥行きの広がりを作り出しています。

★二枚の聖母子 ボッティチェリ ウフィッッイ美術館 フィレンツェ

薔薇園の聖母 1469-1470頃

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セラフィムの栄光の聖母子 1470頃

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 この二枚の母子像はほぼ同じ時に書かれています。この二枚が誰からの発注で、どこにあったかは定かではありません。

 この二枚を比べてみると、同じ時代に描いたものでもかなり感じが違いますね。

 『薔薇園の聖母』は(この時代の様式でよく描かれる)、しっかりと丸型の開廊が描かれ、その外な薔薇園に奥行きを感じます。

 聖母は、伏し目がちではありますがイエスのほうを見ています、この絵を見たときにまずは聖母の顔に視線が行きます、そして聖母の視線に導かれて、イエスを自然に見ることになります。

 衣服も赤い衣装に、青色のマントと頭には薄い被り物とういうこの頃の様式にのっとっています。また、聖母が手にしているのはイチジクです。

 一方、『セラフィムの栄光の聖母子』のほうは背景はあまりありません、後ろに書かれている天使が『セラフィィム』という最高ランクの天使だそうです。

 そして、こちらの方は、イエスがこちらを見ています、聖母は伏し目でイエスのほうの顔を向け、イエスはこちらを大きな目で見ています。

 背景がべたで、床にも遠近法を使うためのタイルなどは書かれておらず、奥行きはあまり感じられません。

 また、この二枚に描かれているマリアは顔がかなり違いますね、これは発注者の注文に合わせたものなのでしょうか。

 色々と見比べて、想像して、考えていくと、ふと思いはこの時代に飛びます。そんな時とても幸せな感じになります。

マニフィカトの聖母 1481-1485

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 マニフィカト は 「我が心、主を崇め」は、キリスト教聖歌のひとつです、絵の中の開かれた本に書かれたことからこの名前がとられたそうです。

 やはり、聖母とキリストの手には「ざくろ」が握られています、このザクロはこの先イエスが苦難の道を歩むことの象徴といわれています。

 この絵でも、聖母は伏し目がちにイエスを見つめています、それに対して、イエスは上を仰ぎ見ています、視線はマリアのほうに向いていないので、やはり、将来の苦難について思いを巡らせているのでしょうか?


ザクロの聖母 1487 

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 画中で天使たちが持っているユリとバラの花は、聖母の慈悲深さを示しているものといわれています。

 両脇最前線にいる二人に天使は、『メディチ家』の守護天使の、『聖コマスと聖ダミアヌス』だと思います。


★東方三博士の礼拝 ボッティチェリ ウフィッッイ美術館 フィレンツェ

『ボッティチエルリ 東方三博士』

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 この作品は『フィレンツェ』銀行家組合の仲介人『グアスパッレ・ラーマ』が『サンタ・マリア・イル・マニフィコ』とその家族に対して贈つたものです。

 『マリア』の夫『ヨセフ』を頂点に、三角形の中に人々が広がっている構造です。

 『聖母マリア』美しさ、楚々とした風情とても好きです。

 それとともに、この絵には『メディチ家』の人々などがたくさん書きこまれていることでも有名です。

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 イエスの足を洗っているのが『老コジモ』です、いつも彼の肖像画は、いかめしくしかめ面をしているような感じですが(そういう顔だったのかもしれません)ここでは、何か穏やかなおじぃちゃんと言った感じです。

 下の赤いマントを着ているのが『ピエロ』、そしてその隣にいるのは息子の『ジョバンニ』

 向かって模擬側の黒っぽい衣装を着て目立っているのが『ロレンツオ』、一番左の端にいるのが弟の『ジュリアーノ』といわれています、一説によると逆という説も。

 そしてこの作品には、『ボッティチェリ』自身も出演していますそれが、下です。

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 ここで、皆さんにクイズです、ここにはこの作品を受注した施主がいますそれは誰でしょう?ヒントは『ラーマはあなたを見ている』です。


★二枚の受胎告知 ボッティチェリ ウフィッッイ美術館 フィレンツェ


 答え:昨日の画像で、『ボッティチェリ』をトリミングした画像で左の一番端でこちらを見ている男が『ラーマ』です。 

 
さて今日の作品ですが『受胎告知』 1481年 サンマルティーノ病院の壁に描かれていたフレスコ画です。

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 この絵はフレスコ画で、テンペラ画と違い、細かい部分を描くことが難しいことと、漆喰が乾くまでに書き上げなくてはいけないという時間的制約があるので、より簡素化されてしまうので、この二枚を単純に比較知りことは難しいのですが。

 
二枚目です『受胎告知』 1489年

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二枚目のほうがかなり、手や、体でのアクション、表現が顕著です。

 天使『ガブリエル』が「処女懐胎」を告げるときの手の動き。そして『マリア』がその告知を聞いた時の心の動きが、身をよじりながら、懐胎を受け入れられない動揺を伝えているようです。
 
 また、『マリア』の手は、『ガブリエル』のほうを向きながらも、手のひらは天使のほうを向いています、全身で激しい心の動揺を表しているのでしょう。

 それに比べて一枚目のほうは、まず、『ガブリエル』と『マリア』位置関係が離れています、これは画面の制約もあると思うのですが、二人の関係を淡泊に表現しているように感じます。

 そして、手の動きですが、こちらの方は二人とも手を胸元に置き閉じています。お互いに納得しているようで、あまり激しい葛藤は伝わってきません。

 実は、この二枚の絵が描かれた間に、歴史的な大事件が起きていたのです。

 1800年から1900年代のフィレンツェでは『ロレンツオ』の逝去、『メディチ家』のフィレンツェからの追放、共和政の復活、『サボーナローラ』の台頭です、この修道士の登場で強硬なカソリックの政策が展開され、「ルネサンス」は終焉を告げるのです。

 『ボッティチェリ』もこの、修道士が起こすカソリックの強硬策に傾倒していくのです。

 この作品は、『サボーナローラ』の宗教的強硬政治が破綻して、教皇から処刑された次の年に描かれています。

 この間にあった、『ボッティチェリ』の宗教的な葛藤が、この二枚の作品に現れていると私は考えます、二枚目で見られる『マリア』の動揺、葛藤は同時に、『ボッティチェリ』の心の中で起こった葛藤が反映されているような気がします。

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 なんか同時に、マリアの顔の表現も違うような気がしてなりません、これはこ『受胎告知』の二枚というよりも、二日前、三日前の母子像との比較もしてみました。

 それにしてもとても美しく神々しいお顔ですね。

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