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好かれる人になりたい!

4日ぶりの#まいにち言語化。

どうにも人に好かれない。なぜだ。周りの人は特別なことはしていなさそうなのに、なんだかみんなに好かれ理解されている気がする。

そう思った私は、誰もに好かれるような人を観察することにした。もちろん私もその人のことが好きだ。そこで気づいたのは、その人は「与える人」であったことと「この人のいる集団では嫌なことは起こらないであろう」という安心感だ。

1.「与える人」であったこと

私は複数人で話すことが苦手で、三人で以上でいても二人で話そうとしてしまう。苦手な理由として、私は少しずつ少しずつそれぞれ人によって態度を変えているらしく、三人いるとどっちに合わせればいいのか分からなくなってしまうのだ。
しかし!私の観察したあの人は違っていた。
その人を交えて9人くらいで通話をする機会が複数回あった。(青春)人が途中で入ったり抜けたりしていて、私は何回か途中で入る機会があった。そこで気づいたのが、その人は新しく入った人を置いて行かないこと。新しく入った人にその時の事前情報を共有してくれる。
その人は、新しく入った人にその輪に入る事前情報を与えてくれるのだ。

誰にも好かれるあの人は、みんなに話題を振ってくれる。その人はすっごく話がうまいわけではない。説明はうまいけど。いや話もうまいよ。でも、その人の凄さは多分、打数が多いのだ。とりあえず、誰かに話を振る!内容はあまり関係ないんだと思う。「〇〇はどう思う?」「〇〇は前、こんなこと言ってたっけ?」「〇〇が引いてるよ」などなど。

2.「この人のいる集団では嫌なことは起こらないであろう」という安心感

これについては、その人が与える人であることで、この人がその場にいる人に話を振る、その場にいる人の話を聞いてくれることで起こる効果だと思う。
その人を観察していて、なんとなく感じたのだ「この人がいる集団で悪口とかで話が広がることってないよな」と。なぜかと考えたときに、まずその人がそういう話を嫌いそうというのと、その人がみんなの話を聞いてくれることで、他人に関心が向かないのだと思う。
その人がいることで、悪口を言わない言われない安心感、また自分の話を聞いてくれるという安心感が生まれていた。

また、私は今まで「相手が話を振ってくれないかな」と思っていた。しかし、それでは相手が悪口を言い始めたら同調せざるを得なくなってしまう。なんとなく「そうだね」なんか言った日には終わりだ。つまり、話を振るとは話の主導権を握ることと一緒かもしれない。しかもそれで相手のことを聞く訳だから「自己主張やばいやつ」とはならない。

話を振ることで、空気さえも操ることができるのだ。


0.自分の好かれない理由

自分が好かれない理由として、私は自分しか見ていない。さっきあった、

私は複数人で話すことが苦手で、三人で以上でいても二人で話そうとしてしまう。苦手な理由として、私は少しずつ少しずつそれぞれ人によって態度を変えているらしく、三人いるとどっちに合わせればいいのか分からなくなってしまうのだ。

というのも、どっちに合わせればいいかなんて、そんなの他人は見ていない。見た目が私の時点で大体私ってわかるだろう。そんなことより、相手にどんなことを聞こうとかどう思っているかとかを気にすればいい。関心が相手より自分に寄っているから、話すことがなくなるのだ。

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