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僕はこの道を歩いた事がない

※この記事は僕の行動には関係がありませんので悪しからず。


いつも通る慣れ親しんだこの道を、僕は歩いた事がない。
ただ只管習慣の様に通った道ではある。
何も考えずに、ただ何気なく周りの景色が過ぎていくだけだった。

どんな場所なのかも、どんな道なのかも、そしてその周辺には何があるのでさえも、何一つ知らない。
ただの道。ただ通り過ぎるただの道。

僕は時折、自分の愛車を捨てて歩いてみたい衝動にかられる。時折なぜだか僕には車が非常に不便に感じる。時折邪魔くさく感じる。自分で運転している様で、決まった道にただ導かれているような、そんなもどかしさを感じてしまう。

そしていつもの道で僕は奇妙な建物を発見する。
僕は何故かその建物が気になる。自分でもわからない。なんの変哲もないただの建物であるはずなのに、それが未知なる物に感じるんだ。

でもその奇妙な建物でさえも、一瞬で通り過ぎていく。ただただもどかしい。僕は本当にこの道を自分の意思で進んでいるのだろうか?自由でありながら不自由だ。前にも後ろにも車がくっついてくる。それは常に一定の速度で保たれている。誰かも知らない誰かに挟まれながら僕はこう感じる。「僕はこの道を自分の足で歩めているのかと」

ただの鉄の塊から見える景色はまるでは早送りした映像の様に淡々と流れるだけ、その景色を眺める時間がない。ただ真横をすり抜けていくだけ。時間と時間の間に見える、ただの小さな一コマにしか過ぎないのだ。

時折僕はこの人生が巨大なベルトコンベアの様に感じる。
一定の速度を保ちながら進んでいくその様は、まるで自動車工場で大量生産される部品の様だ。一握りの自由を与えられて、僕たちの目の前でバーンと上空にピストルの音が鳴らされる。そしてそこからは人生というレースに参加させられるんだ。ただ只管ぶっ潰れるまで、その上を滑っていく。

僕は時折それが不自由に感じる。窮屈に感じる。不便に感じる。僕は早々にそのベルトコンベアから降りたくなる。そこから見える景色は、僕の見たいものなのか?僕はこれを見るために生まれ死ぬのか?そんな疑問がグチャグチャになるだけ。

僕が歩を速めれば目の前の物にぶつかる。
僕が歩を止めれば後ろの物にぶつかる。
だから一定の速度なのだ。選択の余地はない。
まさしく自動車の部品。1日にどれだけ複製されるのだろう…。


僕は徐ろに鉄の塊から降りていた。
適当に何処かへ置いて、僕は少し歩いた。
とっても不便で、鈍足な僕の足で。
流れる汗が、服にまとわりつく。気持ちが悪い。でも今までよりはずっと良い。ずっとずっと気持ちが良いはずだ。
そうして僕はあの建物に対峙してみた。立ちはだかる巨大ボスの前で、僕は仁王立ちして佇んだ。


それは遥かに大きかった。そしてとても古い。
僕は導かれる様に通りを少し歩いて、ぐるりと見渡した。薄グレーの外壁に、凸凹の変な塗装。薄気味悪い…。でも窓から見ていた程ではない。逆に僕はそれが美しくも感じた。

僕の右の掌は凸凹の外壁に触れた。とっても熱い。
そして汗が流れる。でも生きている感じがする。僕は選択したんだ。不自由からの解放を。自分で勝ち取った気分だった。僕の五感が、そして僕の掌から感じる熱が、僕の正気を取り戻した。

僕は機械では無かった。車の部品では無かった。不自由でもなかった。僕は勝ち取ったんだ。自らの手で自由を。スタート地点で与えられた偽物ではない。本物の自由を、自ら勝ち取ったんだと。

僕はいかにフェイクに囲まれていたのかに気がついた。
それが如何に精密なカモフラージュを施されていたとしても、僕の掌が感じた熱とは違った。それはあまりにも人工的だった。冷たさも、温かさもその全てが人工的に感じていたんだ。

でもそのフェイクを、僕たちは真実だと錯覚しなければならない。嘘を真実だと塗り替えなければならない時がある。世の中はそう都合良くはいかないからだ。
時に身体に害があるものを、栄養があるものだと信じて食べなくてはならない。時には間違った道を歩まなければならない、時にそれを隠して笑っていなければならない。それが人生なのだろう。

でも僕がそれを美味いと感じても、気持ちが良いと思っても、美しいと感じても、この熱さには敵わない。僕の掌に感じた鉄の燃える様な熱さには敵わないのだ。

気がついたらその熱は痛みに変わっていた。どれだけこうしていたのだろう。まるで掌の皮がめくれる様な感触に手を離した。

ほのかに熱を吸った掌は、赤く変色していた。その時、僕はその異様な行動が馬鹿馬鹿しく感じて、ふと我に返った。そしてその建物をもう一度見て。僕は車の流れに背を向けていた。そして只管僕は眺める。不自由と自由との境界線で、僕は再び現実という不自由に生きなければならない。そうまた不自由なコンベアに戻らないといけないからだ…。

いい加減クラクラしたあたりで、僕は通りを引き返した。
不思議と足取りは重くはない。一直線に見えるこの道路も、いくつもの小さな道で分かれているのに気がついた。でも僕はいい加減戻らないといけない。これは次回のお楽しみ。僕は見慣れた鉄の塊に身体を預ける。

勢いよく走り出して、一気にそれを追い越した。

それで良いんだ。時折僕は自由になれば良い。時折自分なりの自由を手に入れれば良い。だってこれは自分自身の選択だから。無駄ではないのだ。

そして時折そのフェイクに騙される。フェイクに乗ってみる。でもそのフェイクを上手く操ってやる。自分の良いように、楽なように。そして僕は時折そのフェイクから大胆に飛び降りてやるんだ。今は必要が無いと飛び去ってやれば良い。

そして僕はこの足で不自由を体験する。
敢えて便利から離れてみるんだ。
ただひたすら不便を感じる。
そして自由を手に入れる。
不自由の中から自由を探し当てる。

これは誰の人生?誰の為の道なの?
誰が僕を操れるの?誰が為に僕は生まれたの?
その疑問は何故産まれるの?

それは僕が不自由の中の自由を感じて証明する。
僕がしたい事をしたいだけ。誰も誰かを非難できない。出来っこないから僕たちは自由なんだと思う。

時折そんな変な事をし出す自分が好きなのかもしれない。
思いっきり不自由を感じてるふりをして、僕は自由を感じてる。思いっきり辛い経験をしながら、僕はそれを受け流している。知らないふりをしている。


きっと僕たちは皆思いっきり不自由。だけどいくらでも自由を手に入れられる。選択肢がないように見せて、目の前には沢山の紐がぶら下がっている。そんなもんなんだよきっと。

だから貴方がもしその機械が、不自由なベルトコンベアが不快に感じても、何もそれをぶち壊さなくてもいい。無理に馬鹿な事をして事を大きくしなくてもいい。そんなもやもやに押しつぶされそうになったら、回れ右をして飛び降りてしまえばいい。そして自分の足で歩けばいい。そして飽きればまた乗ってしまえばいい。

少しぐらい割り込んで入ってもさ、大した事じゃないよ。たった小さな些細なことなんだよ。辛いことと言えば、ちょっと陰口を言われるだけなんだよ。だから貴方はただ前だけを向かなくてもいい。見たい景色を見ればいい。つまらないならつまらないと言えばいい。ただそれだけ。


今日もまたその道を自分で歩いた。
一度も歩いた事がないあの道を。
まるで小枝のように枝分かれした道。

さてどちらを進もうか…。
時間はいくらでもある、いや実際はないのかもしれない。
こうしている内に僕はどんどん遅れているかもしれない。
でもいいんだ。僕はこの足で一歩目を歩いくから。

何もないその道に大きな足跡をつけるんだ。
そして僕の後ろには永遠と続いていく。
僕の生き様が、人生が、くっきりと形を残して輝くのだ。


僕が佇んでいると、僕を横目に通り過ぎていく人がいた。感情が読めない表情で、一瞬にしてコンベアに乗り込んだ。そしてその影はいつの間にか消えていた。気が付くとあの道には人々の行き交ういつもの景色に変わっていった。

そしてこの自由と不自由の間で、僕はその二つの道を眺めた。僕はその選択を強いられているのだろうか?それともどちらの可能性を託されているのだろうか?

先の見えない暗がりを、誰の姿も見えないこの道を。
僕はひたすら眺め続けた。そして僕はそこに足跡をつけていった。お気に入りのナイキのスニーカー。独特な形の足跡が出来た。

そして僕は枝分かれした道を進んでいく。人通りが少ないこの道をただそこにある道を僕は踏みしめていた。

でも大事なものを少し置いて来た。いつか帰って来た時の為に、いつか帰るキッカケになれるように。僕のとっての道標になるから。僕はまたいつかコンベアに戻るかもしれないから。そしてその不自由が不自由のままでいたとしても、僕はまたその不自由を求めに帰って来る。


その不自由から自由をまた見つける為に…。



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