はじめに

さて、なにを書くか。
基本的にネットになにかデータを上げるという行為については、「だれかが検索なり調べるなりして、そこから意味のあるデータを受け取る」ためだという認識があるので(それは自分の希望でもある)、意味のあるものを書いておきたい、というのある。
もちろん、それがすべてだという意味ではない。そうすべきだとも思っていない。

ただ、テキストそのものにさほど意味がなくとも(本人にとってはともかく)、それによって対象の作品に価値をあたらしく付加するという行為もあって、それが「レビュー」とか「批評」とか「感想」とか呼ばれるものだろう。

いや、感想と批評を横にならべると怒る向きもあるかもしれないが、結果として生じる「(本なり映画なり音楽なりに)新たな価値を与える」という意味では、わりと同じようなものではないだろうか。
批評はあらかじめそれを目指している、というスタート地点の違いはあるものの。

感想がたんに主観的な印象にすぎないとしても、その印象や感情にシンパシーを覚えて、そこから対象の作品へ向かうということもあるだろう。
あるいは単に「クソだった」という感想であっても、「この人がクソとしか言わない作品ってどんなもんだろう」と逆に興味を持つ場合もあるかもしれない。

まぁ話が逸れたが、作品のレビューみたいなものも書くかもしれない。
あとMacやPC関係のエントリも。
Mastodonがあるので、雑文は書かないと思う。
Back to blogとか思ってるわけでもないので、熱心に書く予定もない。

なぜnoteなのか?
noteがというより、はてなに飽きたんだと思う。

なぜnoteなのか?
noteは注釈がないのはあまり関心しない。しかし、注釈をやたらとつけるのも関心しない。
やはりnoteがいいというより、はてなに飽きたんだと思う。しかし、はてながどうこう、良い悪いというわけではない。

なぜnoteなのか?
まぁこれは「はじめに」なので、やはりこの文にはほとんど意味がない。だからといって雑文ではない。
どんなしょうもない本であっても、表紙をつけるのと同じである。

なぜnoteなのか、それは答えがないままだが、こうやって見出しをくり返すと狂った感じがしてよい。
こんなところである。


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