身代わり妊娠、腹の中にいるもの、妻にやめたいと相談した夫は自分の未来を考えた
目を覚ました男は思わず自分の下腹部に手を当てた、正直、この話を受けるのではなかった、今更だが後悔してしまう。
自分の体が思うように動かないことが、こんなにも不便だとは思いもしなかった。
最初、外に出れば好奇の目で見られることが恥ずかしかった。
だが、カメラマンが同行し、これは妊娠の大切さを世間に知ってもらう為の大事なプロジェクトだと説明されると見る目が変わった。
自分は素晴らしい事をしているのだという気持ちになった。
会社でもだ、女性社員から声をかけられ、男性社員から激励されると頑張ろうという気持ちになった。
だが、陰では。
「俺なら無理だよ、あんなこと、いくらTVの」
「成功したら金がはいるらしい、それもかなりの」
「途中でやめたらどうなるんだ」
「あいつには無理だよ」
裏で陰口を囁かれている事を知ったのは同僚からの忠告だ。
負け惜しみだ、羨ましがっているんだと言われ、気にすることはなかった。
この腹の重みはいずれ金になる、そのときのことを考えると苦ではないと思えるのだ。
不意に腹が、また、動いた、気のせいだ、そう思う。
最初の説明では、この中に詰まっているのはプラスチック樹脂で腹に当たる部分は蒸れないように制汗タイプの布らしい。
その他にも色々と工夫がされているのだと聞かされると、自分は大丈夫だと思えてくるから不思議だった。
そう、このときまでは。
その日、男達の会話が耳に入ってきたことがきっかけだった。
何を話しているのか気になった、会話に入り込もうとすると、気まずそうな顔になり、逃げられてしまう。
いや、何でもないと首を振られてしまっては会話は続かない。
もしかして、自分には聞かれたくないことなのだろうか。
自分をのけ者にしての会話をしているのが男だけではない、女性社員ともなると気になってしまう。
教えてあげましょうかと、その日、声をかけてきたのは以前、浮気相手だった女だ。
「あなたと同じ実験をした人、亡くなったの」
「死んだ、だと、馬鹿なことをいうな」
この実験、疑似体験が始まる前に自分は説明を受けたのだ、それも何度も稔をしてだ。
すると自殺という簡潔な答えが返ってきた。
「死んだのは終わった後、実験のね、元の生活に戻った後だったから、伝えなくてもいいと思ったんじゃない」
妊娠したと思ったんじゃない。
疑似体験の時は普通だったのに、動くって。
腹が。
本当に自分が妊娠したと。
そんなことあり得ないのに。
女と別れた後、会話を思い出しながら男は帰途についた。
自宅では妻が夕食の支度をして待っていた。
さっぱりとした、野菜料理がテーブルに並んでいる事に男は表情を硬くした。
「昨日、あなたが食べたいといったメニューだけど」
以前の自分なら好きとはいえない料理だ、それなのに箸を手にすると料理を口に運んでしまう自分でも驚いた。
食事の後は風呂だが最近は腹が重くなり、浴槽に入るのも大変なのでシャワーですませてしまう。
転んだりしたら大変、お腹の赤ちゃんだけでなく、あなた自身も転んで怪我をするかもしれないから。
そういって妻は介護用の椅子を風呂に置いてくれた。
妊婦は大変だから、その言葉を聞くと男は頷くことしかできなくなった。
自分は妊婦なのだと思ってしまう、疑似体験とはいえ、膨らんだ腹の中に詰まっているものは。
「愛」
妻は、そう言った。
家の中では妻が、外に出ると通行人、見知らぬ他人までもが親切にしてくれる。
中には丈夫な赤ちゃんを産んでくださいと声をかけてくる人もいる。 いや、自分は男だからと最初のうちは説明していた、だが。
やめてしまいたいと思ってしまった。
「なあ、もし、妊娠体験、やめたいと言ったらどうする」
最初に相談するなら妻以外にはいないだろう、そう思って聞いてみた、だが仮定としてだ。
すると妻は、表情を変えることなく頷いた、思わず、その反応に男は驚いて何故と聞いたのは当然のことだろう。
すると無理だと思っていたから、あっさりと言われてしまった。
その答えに驚いた、妻は協力してくれていたのではなかったのか。
それなのに、この疑似体験が自分にはできない途中で、やめるだろうと思われていたなんて心外だった。
いつから、そう思われていたのだろうか、もしかして、最初から、いや、そんなことはないはずだ、だが。
「どうしたの、そんなことを聞くなんて」
「いや、もしやめたら」
「妻が無理だと思っていたのよ、それなら周りだって」
そう、思うでしょう、妻の言葉に体が震えた。
「別に心配することはないんじゃない、いつもの日常に戻るだけよ」
男は想像した、腹の膨らみ、赤ん坊はいなくなったときのことを、身軽になった自分の姿を。
そんな自分を周りの人間は、どう見るだろうか。
やっぱりね、無理だと思ったのよ。
あいつは口だけの奴だよ。
なんだか、幻滅したわ。
応援してたけど、その価値もなかったか。
きっと周りの評価は下がるだろう、それだけではない。
近所の人間も自分のことを、どう思うだろうか、そんなことを考えると、怖い、と思ってしまった。
「無理しなくていいのよ、企画を立ち上げた側だってわかっているわ、疑似体験とはいえ、勿論、できる人もいるけど、あなたにはできないでしょう」
妻の顔を見ると唇が、もしかして思わず男は顔を視線を外した。
正面から見ることができなかったのだ。
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