塾の先生
私は幼稚園の頃に家から車で10分くらいの場所にある塾に通い始めた。
塾と言っても公文とか学研とかの全国的にあるような塾ではなく一般の老夫婦家庭が開いてるアットホームな塾だった。
塾には習字を教える70代くらいのお婆ちゃん先生、硬筆を教えるY先生と算数や英語担当のM先生の50代くらいの夫婦の3人家族が営んでいた。
そこで最初に硬筆を習い小学校に上がってからは習字と算数も習い始めた。
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ハキハキとして元気で陽気なお喋り大好きなY先生はお母さんが私の迎えに来るとほぼ毎回30分くらいお母さんと世間話をしていた。
よく家の裏の山で採れるたけのこや庭の木にできた柿をお土産にくれたりした。
私の爪が長く伸びている事に気づくと
『○○ちゃんの爪は切るとよく飛ぶね〜』
『そうだねーもしかしたら自分空を飛んでみたいと思ってるからかも』
なんて会話をしながら爪を切ってくれたのをよく覚えている。
学校に行っている間に私が名前をつけて世話をして飼っていたトカゲをお母さんが勝手に逃してしまいショックで泣きながら塾に来た時には凄く慰めてもくれたな。
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M先生は物腰の柔らかいおっとりした性格だった。
理解力が低くてバカだった私に分からない問題を繰り返し解き方を教えてくれた。
そのおかげか算数だけは得意になった。
M先生は塾が終わって帰る時に部屋でもバイバイするのに、玄関を出た私にまた部屋の中から窓越しに手を振ってバイバイをしてくれて私もそれを分かっているからM先生の部屋がある方に必ず振り返り手を振り返すのが習慣だった。
バレンタインデーが近くなるとお母さんが洋菓子店に連れて行ってくれてチョコを私に選ばせて買わせてもらってそれを塾へ持って行きM先生に毎年渡していた。
M先生も必ずホワイトデーにクッキーやチョコなどのお返しをくれて嬉しかったな。
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ある日の塾の時間の終わり頃、Y先生にお昼ご飯を一緒に食べない?と突然言われ私は『食べたい!』と言い、Y先生が親に電話でお昼ご飯をこっちで一緒に食べるので○時に迎えに来て下さいと連絡してくれて、先生2人と私でダイニングテーブルに座ってお昼を食べた事もあった。
なんだか本当に家族のようでとても嬉しかった。
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しかし中学生の頃、親が私の成績が中々良くならないのを理由にある日突然塾をやめさせられた。
私は学校の先生以外の人に勉強を教えてもらえなくなる不安よりも先生達に会えなくなる事への悲しみの方がかなり大きくて家に帰ってから泣いていた。
その夜先生から電話がかかってきて、『月謝はいらないからここへ通わせてほしい』とお母さんは言われたらしい。
お母さんが私へ電話を渡し、Y先生に『M先生がかなり落ち込んでてね…○○ちゃんが通いたいと思ってくれてるのならまた来てほしい』と言われ私は『塾を辞めたくない、続けたい』と先生に告げた。
結局親は塾を続ける事を許してくれてまた次の週から通えるようになった。
お母さんはそうは言われたけど本当に月謝なしで通わせるなんて出来ないとちゃんと毎月月謝を払ってくれていた。
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中学に上がってからは自分で自転車で塾に通うようになった。
学校が終わった後自宅に一旦帰り、20分かけて塾へ行きまた20分かけて家へ帰る日々が続いた。
M先生からの『将来何になりたい?』と言う質問に小学生の頃は『ペットショップの店員さんかトリマーになりたい』と言っていたけど、中学の頃には当時アニメが大好きだったので『アニメーターになりたい』とM先生に話したりしていた。
M先生は『アニメーターって給料が安いって聞くけどそれでもいいの?』と心配していた。
(結局私は高校に入ってから徐々にアニメへの関心が薄れてしまったのでアニメーターになる夢は捨ててしまったのだけど。)
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そんなこんなで中学3年間が過ぎ受験勉強にも熱心に付き合ってくれて無事志望校に合格した私は塾の先生へお礼と最後のお別れをしに向かった。
多分薄々先生達も中学卒業したら私はもう今度こそ本当に塾を辞めさせられると分かっていたと思う。
玄関でM先生に最後のバイバイをし、もう泣く寸前だった私をM先生も目を赤くしながら見送ってくれた。
車の中で我慢できなくなり声を出して泣く私にお母さんは『なに泣いてるの、馬鹿じゃないの』とイライラしながら言い放った。
幼稚園からその日までの約10年間、夏休みや冬休み以外の毎週2、3日あった塾へこれから通えなくなり先生達と会えなくなる寂しさを分かってくれない母親に何でそんな事言われないといけないの?と怒りと悲しみで私は高校が始まるまでの間しばらく塞ぎ込んだ。
なんでこんなに会えなくなるのが寂しいのか、当時の自分はよく分かっていなかった。
最近になってその理由に気付いた。
その頃私は家に居場所がなかった。
市外に住んでいる大好きなお婆ちゃんよりも会う回数が多く、私にとって1番身近な存在だった塾の先生はただの『先生』じゃなくて親以上に私の事を心配してくれる人がいる大切な居場所だったから、それを奪われた事が悲しかったんだと。
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それから時は過ぎ、高校を卒業した私は結婚のための引っ越しの準備の際に勉強机に引き出しにしまいっぱなしにしていたM先生の電話番号が書かれた紙切れを見つけ、それを捨てずに荷物に入れて新居へ引っ越した。
この電話番号が書かれた紙切れは受験日前日に塾が終わって家に帰ってからも電話で過去の試験に出された問題集を見ながら分からない所を教えてあげるから電話してねと先生から教えられた電話番号を書いたものだった。
私は実際にその日の夜に先生へ電話をして問題集を見ながら先生に分からない所を質問をした。
そんな思い出があったから捨てずにとっておいた紙切れに書かれている電話番号へ私は数年前電話をした。
電話番号が変わっていたらどうしようかと思ったけど先生は電話に出てくれた。
『○○ですけど…わかりますか?』と言うと、
『あ、○○ちゃん!久しぶりだね〜』と言う先生の声を聞いて凄く懐かしくなった。
私が結婚した事や子供が生まれた事はお母さんが地元のスーパーで先生達に偶然会った際に言っていたからか知っていて、先生達に会いたいのと旦那や子どもにも会ってもらいたいと、今度そちらへ行ってもいいですかと聞き、会いに行く事ができた。
久々に塾のある先生達の家へ行き、数年ぶりに会ったY先生とM先生は私の最後の記憶の時のまま全然変わっていなかった。
ただ塾のアイドル的な存在で私にとても懐いてくれていた柴犬のワンちゃんは一年程前に亡くなってしまっていて会う事は出来なくてとても残念だった。
久々に会って上手く喋れるか心配だったけど相変わらずY先生はお喋りだったので昔の私がどんな子でどんな事をしていたかを旦那に話してくれた。
M先生はというと昔から物静かな方でY先生がお喋りすぎるからか、私も久々でちょっと恥ずかしさもあってあまり話せれなかったけど終止ニコニコした顔で私達家族を眺めてくれていた。
M先生は昔から壁沿いに逆立ちをするのが得意でそれがまだ出来るみたいでやって見せてくれたな。
帰り際、また来てねと二人が見送ってくれて本当にまた会う事ができて良かった。
それから数年後、実家が引っ越した事もあり、あれから会いに行けていないけどコロナがおさまったらまた会いに行こうと思っています。
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