中学校時代【学校での出来事や思い出】



ー中1ー


お母さんが私が7組だと知り『ラッキーセブンじゃん』と言っていたけど、クラスメイトは小学校時代の仲のいい友達が一人もいなくてショックだった。



でも小6の時同じクラスだったNちゃんも新しいクラスに仲良い友達がいなかったみたいで、私と同じ境遇だと気付き私から声をかけて友達になる事ができた。


先生


担任の先生は色黒で角刈りの若い男の先生、若いからかちょっと頼りない感じだったけどフレンドリーな先生でした。


私とNちゃんは掃除の時間に担任が教室の横の外の草むらを耕して作った小さな畑の世話をする係にされたのを覚えてる。


珍しい形の2Lペットボトルを先生が持ってきてこれで水やりをしてくれと頼まれて、たしかネギとか育ててたっけな〜。



宿泊学習


中学最初の大きな行事は宿泊学習だった。


宿泊学習の班はNちゃんとは別で同じ部屋や班に仲の良い女の子がいなくてちょっと心細かったな。

初日にハイキング、その後施設のキャンプ場で木の枝を削りスプーンの持ち手作りをしたり班でカレーを作ったりした。


ソーラン節の練習を体育館で何度もして筋肉痛になったな。


宿泊学習中、困った事もあった。


校則が厳しく、髪が肩より長い生徒は必ずヘアゴムで縛らないといけないのにお風呂上がりに家から唯一持ってきていたヘアゴムを無くし、別の部屋だったNちゃんに余っているヘアゴムがないか聞いたけど持ってなかったみたいで、仕方なく髪をおろしたまま廊下でクラスごとの夕ご飯待ちをしていた。


先生達に見つかる前になんとかしないとと廊下のどこかにヘアゴム落ちてないかなーと探したっけな。


結局あの後どうなったのか覚えてないけど多分先生が気付いてヘアゴムを貸してくれたんだと思う。


先生達によるレクリエーションで担任の先生が変な格好をして登場したもんだからなんだか見てるこっちが恥ずかしかったな〜。


応援団


部活に入っていなかった自分は応援団に入った。



人前に出たがるタイプではない自分がなぜ応援団に入ったのか、理由はあまり覚えてないけど多分先生に頼まれてNちゃんと入団したんだと思う。



朝練もあったから早く学校に行かなければならなかったし授業後も練習があったりで当時はそれが本当に嫌だったんだけど、今となってはまさに青春っぽい経験をする事ができたいい思い出になっている。


その中学の応援団は独特の掛け声ときっつい体勢で演舞をしなければならないので覚えるのに時間がかかったし、練習が始まってしばらくは筋肉痛が凄かった。


応援団といえば女子も学ランを着ないといけないんだけどその学ランは自分達から男子に頼み借りないといけなかった。


私はクラスメイトの比較的話しやすい優等生男子に頼み了承を得た。



なんだか頼むのは少し恥ずかしかったけど無事学ラン確保できて良かったーと思った。



激励会当日、応援団の一員として全校生徒がいる体育館で中学伝統の応援歌と演舞を披露した。


その応援歌と演舞は初めて見る人からしたら笑いを堪えるので大変だっただろうなと今でも思うくらい本当に独特なものだった。


正直自分も初めてそれを見た時は吹き出しそうになったから(笑)


福祉ボランティア活動


中学初めての夏休み中に1学年全員が地域の色んな施設に行きボランティア活動をしなければならなかった。


私は日本に住む外国人が日本語を習いに通うスクールのようなところにボランティアをしに行きました。


そこの先生達は優しくて話しやすかったし、沢山の外国人と関わる経験ができたのは良かったけどボランティア自体はあまり楽しくはなかったかな。


自由研究


夏休み明け、理科の授業で夏休みの宿題だった自由研究の発表を皆の前で一人づつしなければならなかった。


私はおばあちゃんと2人で植物を使った夏の涼しみ方についてをB紙に書いた。


夏の暑い日差しには窓の外に朝顔などの蔓植物を置いておけば部屋に直射日光が入らず自然の日除けになるとかどうとか。


クラスメイトの発表で覚えているのは小学校から知ってる優等生男子の自由研究の発表だ。

酸化して汚れているお金がなんの液体につければ一番綺麗になるかという内容で『なるほどすごいなー』ととても勉強になったのを思ったのを覚えてる。


文化祭


初めての文化祭。

一日目の文化部の催し物をクラスで周り、その後前日に予め選んだ体験教室に参加した。


私は友達と料理体験を選んだっけな、何を作ったのかはあまり覚えてないけど果汁100%のミックスジュースを飲んだ事は覚えている。


調理中喉が乾いて仕方なくて早く何か飲みたいとずっと思っていたからかジュースを飲んだ時の事はよく覚えてる。


二日目は合唱コンクール。

結果発表前、クラスメイトに皆手を繋いで祈ろうと言われ隣の子と手を繋いだ。


けど私達のクラスは賞は取れなかった。


中1最後のホームルーム


修業式の日、7組の皆ともお別れで先生は最後のホームルームの時に先生をやめるという話をしていた。たしか三重で一人で暮らす絵描きのお父さんの体調が心配で地元に戻るとかなんとか…言ってた。


ああそうなんだーとしか私はその時考えていなかったと思っていたのですが、私が中3の家庭科の授業で書いた中学3年間をふり返るプリントに『T先生が泣きながらお別れの話していたのですがその泣き顔が○○くて最前列のど真ん前だった自分は笑いをこらえるのに必死だった(笑)』と当時の事が書かれていた。


あの頃の自分はとても失礼でしたね、T先生ごめんなさい。


ー中2ー


担任と友達





担任の先生は優しい女の先生でした。


新しいクラスメイトの中には小6の頃の友達K、そして出席番号が私の前だったAちゃんがKと知り合いだったのもあり、すぐに3人グループができました。



体育祭の練習


6月にある体育祭の練習が始まった頃。


開会式か閉会式の練習中に私は体が物凄くダルくなり、そしてとうとう立っていられなくなって気づいた時には後ろへ尻もちをついて倒れていた。


先生達に両脇を抱えられて日陰に移動してる最中、視界に入ってくる全ての物の色が黄色に見えて意識が朦朧としていた。


日陰に着いて座り体を休ませたらダルさも無くなり視界の色も治り、学年の皆が練習をしているのを授業が終わるまで後ろから見た景色はよく覚えている。



自然教室


中2のメインの大きな行事といえば自然教室だった。


たしか石川県あたりまでバスで行き、途中砂浜の上をバスが走る事があってバスが結構揺れて楽しかったな。


梅雨の時期だったのもあり、2日程天候に恵まれず予定していた行事や体験教室がかなり変更された。


サイクリングしてみたかったな〜結局その日は施設内で石を削って天然石のハンコを作たっけ。



夜にあったキャンドルセレモニーではサプライズで親からの手紙が配られた。

でも私、実はこの手紙の存在を既に知っていた。


宿泊学習がある数週間前、学校からのお便りに親宛ての茶封筒があり、それを渡した日にお母さんから急に『レターセット持ってない?』と言われ持っていたレターセットを私が貸した。


そしてお母さんから茶封筒を学校へ提出するよう言われ、『何だかおかしい…』と思いこっそり開封して手紙を読んでしまっていた。


当然その時先生達から配られた親からの手紙は既に読んだ手紙だった。


私はそのサプライズの時、お母さんからの手紙を読んで泣かなかった。が、家でこっそり読んだ時私は泣いたので『読んでて良かったー!危うく人前で泣かされる所だったー!』とホッとしていました(笑)




別の日、クラス対抗の砂像作りがあった。


私のクラスのテーマはお城だったけな。


優秀賞には選ばれなかったけど楽しかったな〜。


砂像作りが終わるとアイスが配られた、アイス片手に友達とピースしてる写真がある。


アイスを食べ終わりクラスの皆で道具の片付けを終えようとした頃、多分道具を貸し出してくれていた地元の管理人に『あの道具がないから砂浜をよく探して』と言われ、せっかく作った砂像を崩してまで皆で探したのに結局倉庫にあったみたいで皆でぶつぶつと文句言ってたな〜。



最終日、学校へ帰る途中に岐阜にある世界遺産の白川郷にも寄り、茅葺屋根の家を見たり山道を登って頂上で写真を撮った。

でもその写真を買わなかったのか捨てちゃったのか残念ながら写真がない。


バスへ帰る途中、民家の窓際に魔女の宅急便のオブジェが置いてあるのを見つけた、ジジがいたっけ。


学校に着いた頃には辺りが真っ暗だった、真っ暗な学校なんてそうそう見られないから新鮮だったな。


そして数日ぶりに会う親や妹の存在に少し安心した事を覚えている。


友達


自然教室中にAちゃんもジブリが好きだった事を知り、普段の学校生活でもよくジブリの話をするようになった。


Aちゃんは絵が凄く上手くて、Aちゃんの書いたハクがめちゃくちゃかっこよくて確かその絵を貰ったな〜。


あと千と千尋の神隠しのパンフレットをこっそり持ってきてくれて貸してくれたりもした。


Kとは交換日記をし始め、その日あった事、学校の先生やクラスメイトの事とか…二冊目まではいったけどそんなに長くは続かなかった。

と言いつつ交換日記が途絶えた原因は自分だった事を高校卒業後に実家から引っ越すため部屋を片付けをしている最中に私の勉強机の引き出しから出てきた交換ノートを発見して知った。


最後のページを見るとKが殴り書きで書いた私に怒っている文だった…『うちら日記の中でも喧嘩してたんかい』とそれを見て私は懐かしくなったな〜。


Kとは小6の時から頻繁に喧嘩してはすぐ仲直りしてを繰り返す、まるで兄弟のような関係だったけど、クラスメイトのヤンキー男子が私が給食の当番でいない時に私の椅子に貼ってある名前シールを輪ゴムのようなもので弾いて削っているのを見つけて担任の先生を呼び叱って怒ってくれた事があり、度胸があるいい友達を持てて良かったと私は思った。



文化祭






2年生の文化祭、選んだ体験教室はサンドブラストだった。



同じ教室内でトンボ玉作りをしていた子もいたな。



合唱コンクールはその年も私のクラスは入賞できず…。

因みに私は1年の頃からアルトパートでした。

曲の大半をメインメロディーとは異なる音程を歌わないといけなかったから覚えるのも歌うのも難しかったけど、私はアルトの『脇役だけど歌全体の厚みを出してソプラノの高音を引き立てる』という立ち位置が好きだったなー。

職場体験


私はKと2人で熱帯魚ショップに行く事になった。


本当は大好きな犬がいるペットショップが良かったけど既に別の子達に取られてしまっていたため仕方なく熱帯魚ショップにしたのだ。


お母さんの車でKと2人で行き、お店に着き一番最初に駐車場の掃除をお願いされた。


その後水槽の水の入れ替えをお願いされてお手本を見せてもらい順にやっていったけど、これが中々難しかった。


てっきりコップとかバケツで汚くなった水をすくって捨てて新しい水を入れるのかと思っていたけどそうではなくて…なんて言ったら良いのか分からないけど一角にある細い筒を調整して水を抜きホースで新しい水を入れていたような…記憶が曖昧!


まあそんなこんなで何とかやってお昼休憩になった。

お昼はお母さんのお弁当だったんだけど、Kが箸を持ってくるのを忘れてしまい店員さんに事情を話し近くの百均へ箸を買いに行った。


途中先生達に見つかって抜け出してると思われて怒られるんじゃないかって結構ヒヤヒヤしたけど、本来なら学校に行ってる平日に友達と町中を歩けるなんて凄く新鮮で楽しかったな。


中2最後のホームルーム


中2最後のホームルーム、担任の先生は教師をやめオーストラリアに勉強をしに行くと言っていた。


中1、中2と2年連続で私の担任の先生が理由は違えど教師をやめていくのでちょっと複雑だったな。


先生は『親には自分のわがままで色々迷惑をかけてばかりだけど、挑戦したい、人生を後悔したくない』と言っていたっけな。


その時の私は先生が言っている事の意味が分からなかった、けど今はその先生の言葉の意味が分かる。

人生は一度っきりだし、歳をとってからああしとけば良かったなんて思ってもどうしようもない。


だから新しい事に挑戦して例えそれが失敗しても、それは行動しないと分からない事だしやらない後悔よりやった上での失敗や後悔で学ぶ事の方が悔いなく人生を送れるはずだって事、そう先生は私達に伝えたかったんだと思う。


そう教えてくれたのに私は悔いなく中学生活を終えれたのか…考えてみると結局後悔してる事の方が多い。


ー中3ー


担任の先生





新しいクラス担任は美術教師の女の先生。

けどこの先生、学校で最も怖い先生でもあった。


私は中1の美術の授業中にド叱られた事があり、体育館で担任が発表された時に私はクラスメイトの皆と『えー!』とショックを受けた。


厳しくて怖かった先生が教えてくれた美術作品は今でも結構思い出せる。

私が今ハマっている『びじゅチューン』という番組、それを見ていて『あ、このモデルになってる美術作品知ってる』と思えるのは先生から学んだ絵画や美術品ばかり。


授業中、先生が一筆書きで綺麗に黒板に円を描けた時には『お、凄く綺麗に描けた』とよく自画自賛してたな〜確かにとても綺麗な円だった。


そして先生が作る授業のプリントはパソコンなどのフォントを使用したものではなく殆どが手書きの文字で文書が作られていた。

その字が読みやすく綺麗且つ温かみのある文字だったのがとても印象的だった。


最初、そういった手書き風のフォントを使っているのかと思っていたけどプリント内にある同じ文字を見比べて若干形が違う事に気づいた時には内心『凄っ!』と思ったりもしたな。


先生がスペインとかのヨーロッパ辺りに昔住んでいたという事、そこで車を運転していた時に事故に遭い車が一回転したという話や、ルーブル美術館美術は1日で周れる所ではないと言っていた事を覚えてる。


あれは紅白梅図屏風だったかな、大きな屏風の多分実物大の物を徹夜して作ったと言い授業で見せてくれた事があった、あれは凄かったな〜。


授業中、私が上手くできなくて怒られたり叱られたりした事は物凄く嫌な出来事だったけど作品が良い時はちゃんと褒めてくれたっけな。


私が特に覚えてる3年間の美術の授業で制作した物は

音のイメージ画
デッサン
レタリング、漢字と絵を融合した物
果物の抽象画
好きな教科の版画絵
木製の手鏡の彫刻
ペーパーウェイトのサンドブラスト
オルゴールボックスの彫刻と削り絵


結構色々作らせてもらったのに3年間使った紙作品をファイリングしていた美術ファイルは今はもうない…引っ越す時に捨ててしまった自分を私は叱りたい!なんて勿体ない事をしてしまったんだと今になって物凄く後悔してます…。


でも木製の手鏡は今でも私の寝室のベッドからすぐ手の届くところにあり、愛犬の削り絵がはめ込まれているオルゴールボックスは私が高3の頃に亡くなった愛犬の犬歯が入っているメモリアルネックレスと首輪、トミング後に付けていたスカーフや写真を入れて大切に持っています。


先生は怖かったけど何やかんや中学時代の授業で一番内容を思い出せるのは美術だから授業自体は学んでいて楽しかったんだろうな…

先生は怖かったけど!(笑)


友達


クラスメイトにはずっと一緒のクラスになりたいねと登下校中によく会い仲良くなったMちゃんとやっと同じクラスになり、凄く嬉しかった。



基本的に中3の学校生活はMちゃんと行動していたけど、他にも新しい友達ができて毎日とても楽しかった。


先生は怖かったけど!(何回目笑)


Mちゃんと私は正反対な性格だったけど私が今まで友達になった子の中で一番仲良しになった。



部活がない日は絶対一緒に登校し帰りも一緒、それぞれ家の方向が途中で違ったから別れ道でバイバイしないといけないのに話が止まらなくて中々別れられなくてしぶしぶバイバイして家に帰ってもほぼ毎日のようにお互い電話をして色んな事を話していた。(恋人か笑)



休みの日に遊ぶ約束もしてよく家遊びに来たり私が行ったりもしたな。



好きな人の話を自分が友達に話したのはこの子が初めてだった。



Mちゃんが朝の読書タイムで読んでいた小説が気になり読ませてもらったのがきっかけで、その小説には原作の漫画もある事を知り、私は漫画も買い揃え共通の好きなものができた。



大人になったらその漫画の舞台となっているトルコへ2人で行こうねと約束したけど未だにその約束は果たせていないな、Mちゃんは今でもその約束を覚えているだろうか。


(この子との事は別の記事で『親友』として書いてみました。)


修学旅行


中3といえば修学旅行!


私は勿論Mちゃんと同じグループ、宿泊したホテルでも2人同じ部屋。


先生の希望により一日目のクラス別行動では鎌倉と横浜に行くことになり、まず鎌倉に着き海岸沿いの砂浜で遊ぶクラスメイト達を私とMちゃんは少し離れたところにあったコンクリート塀に座り眺めていた。


海沿いなのもありめっちゃ風強かったから砂浜で撮った集合写真は皆髪がボッサボサになっている(笑)



鎌倉の大仏も見に行き、大仏の中にも入った記憶がある。

中がどんなだったのかは覚えてないけど(笑)



そして横浜の有名なタワーの展望スペースに行ったり近くの遊園地の観覧車に乗り綺麗な夜景を見たり、夜ご飯はレストランでバイキングを楽しんだ。


バイキングのメニューの中にポップコーンがあったのでセルフの塩をめっちゃかけたら同じグループの子達にしょっぱすぎ!と言われたっけ。



その日は歩き過ぎてヘトヘトで、私は小さい頃から歩き過ぎると足が物凄く痛くなる体質だったのもあり、とにかく座りたくて仕方ないのに電車待ちのホームに全然椅子が無くてしゃがみこんでいたら『田舎臭いからやめなさい!』と先生に叱られたなー。



ホテルは品川プリンスホテルだった、なんだかかっこいい名前だなと思ったから覚えてる。



部屋はとても綺麗でお風呂も大浴場じゃなくて部屋のお風呂に入れたからゆっくり入れたなー。



二日目はグループで東京を周り、池袋にある古代オリエント博物館へ行き、私とMちゃんが好きな漫画の登場人物の名前が博物館内にあり『本当にいたんだー!』と改めて知れてテンションが上がった。

お土産にラムセス2世の名前が彫られたヒエログリフのストラップを買ったんだけど…それが結構高かったな〜今は行方不明です。

そして当時アニメオタクだった私は『ここがあのデュラララの舞台かー』と町を見回り、途中アニメイトの看板が見えてめちゃくちゃ行きたかった…けど我慢した。



最終集合場所のディズニーランドに行くまでの電車内で液晶モニターがついているのを見て『おー都会って感じだー!』と見入ったりもしたな。


ディズニーランドは夕方から入園だったからアトラクションに殆ど乗れなかった、夜ご飯を食べお土産を買いパレードを見ただけであっという間に終わってしまった。


最終日、国会議事堂へ行き愛知出身の名前を知ってる議員さんに偶然会い名刺を渡された、けど貰えなかったMちゃんがお母さんにあげたいと言うので興味なかった私はあっさりとあげました(笑)


横浜の中華街でお昼に中華料理を食べてお腹いっぱいになり、バスに揺られて学校へ着き家へ帰宅しました。








最後の体育祭


緑色だったクラスカラーから私のクラスは有名なディズニーキャラクターを体育祭のクラスのマスコットにした。


自分達で応援道具を作ったり休日にクラスのリレーの自主練習に参加したりもし、先生がオリジナルのクラスの応援ソングを作ってくれた。

その歌はとてもインパクトがあり今でも歌詞とメロディーを覚えてるくらいだから、先生凄いな〜!


そして私はクラス対抗の大縄跳びの縄を回す役目を引き受けることになった。


私と一緒に縄を回す役目になったのは、私が小2の時に学校で初めてできた友達Nちゃんだった。


小2、小3と同じクラスで小6も同じクラスだったのにお互い別の友達と行動していたからか、いつの間にか疎遠になっていた私とNちゃん。


この縄回しという役割がきっかけでまた話せるようになって嬉しかったな。


私達のクラスはしょっちゅう大縄跳びを練習していたので腕や肩が筋肉痛にもなったし毎回かなり体力を消耗してきつかったけど、それも今思えばいい経験だった。


と、結構体育祭当日までの日々の事は覚えているのに肝心な当日の事は全く覚えていないため残念ながら書くことが無い(笑)


再び福祉ボランティア活動


夏休み中、今度は自由参加だった福祉ボランティア活動に私はまた参加した。


自由参加だったのになぜ参加したのか…ハッキリ言ってしまえば高校受験の実績のため!

部活動をしていなかった私は他の皆より明らかに面接でアピールできる事が少なくて不利だったので、こういう所で何か実績を積まなければと焦っていた(笑)


私は前回と同じボランティア先へ強制参加だった中1の妹と一緒に行きました。


そのボランティア活動中に私が妹と話していたら遠くの席にいた外国人生徒が消しゴムを投げつけてきたので、腹が立って消しゴムを『お返し』してあげようと投げ返したらその外国人達が座るテーブルの上にあった缶ジュースに命中してしまいそれがこぼれてちょっと騒ぎになってしまった。


でも最初に投げてきたのはあっちだし、そもそも投げてこなければこんな事にはならなかっただろうから私は『ざまーみろ!』と思い謝らなかった。


選択授業


好きな授業が選べる選択授業で私はダンスを選んだ。


特に踊る事が好きなわけでも得意なわけでもなかったのになんでダンスを選んだのか…自分でも全く分からない(笑)


その時友達が持ってきていたダンスの音楽が初音ミクの曲だった。


それがきっかけで私はボカロを知り、そして好きになり高1の終わり頃までハマる事となった。


クラスの子にもボカロが好きな子がいて仲良くなり。こっそりとお気に入りのボカロPのアルバムを持ってきてくれて見せてくれたりもしたな。



最後の応援団



激励会の応援団をまたやることになった。


今回も自主的に参加したのではなく担任に
『あんた帰宅部だし応援団経験者だから引き受けなさい!』と言われ断る事も出来ずただ『はい』と返事をして引き受けた。


また朝練、授業後の練習をする日々が数週間あり…

そしていよいよ数日後に激励会が迫っているというのに私はまだ学ランを貸してもらう男子を決めていなかった。


何故かって一人の男子に自分で声をかけてお願いしたら断られたのがきっかけで中々次に他の男子に声をかける勇気がでなかったからだ。


学ランの件を私に尋ね、『まだ確保していない』と言う私を見かねた担任が『あんたまだ決めてないの!?じゃあー…○○!貸してあげなさい!』とほぼ強制という形でクラスメイトのW君から借りる事になった。


怖い担任の先生からの命令を断る事も出来なかっただろうに…W君とはあまり話した事がなかったのに何だかこんな事に巻き込んでしまいとても申し訳なかった。


そして激励会当日、同学年の子達の最後の部活動の大会の激励会だった。


私も中学最後の応援団として精一杯声を出して演舞を披露した。


激励会が終わった後担任に『ちゃんと○○にお礼を言いなさいよ』と言われ『ありがとう』と言い学ランをW君に返しました。
 

返す時、学ランが汗臭くなってないかとても気にしたし本当はクリーニングに出してから返したいくらいだったけど、相手も学ランないと学校生活に支障がでて困るだろうからと終わった後にすぐに返した。


けどね、先生…実はW君は私より身長が低かったので丈も袖もやや短くて学ランがきつかったのですよ。


スクワットの体制をキープしたまま謎の伝統応援演舞をしなくてはいけなかった私にとっては、それはそれは演舞の最中にズボンが破れるんではないかととてもヒヤヒヤしました。


助けてくれた事はとても感謝なんですがなぜよりによって私より身長低いW君を指名したのさ!と今でも思います(笑)



最後の合唱コンクール



最後の文化祭と合唱コンクールに向けてちぎり絵制作と歌の練習が始まった。



ちぎり絵は合唱コンクールで歌う曲のイメージをクラスメイト全員がそれぞれ絵にして提出し、それを全部黒板に貼り付けて皆で匿名で投票して決めていくんだけど、私のデザインが最終候補の数枚の中に残っていた。


けど美術の先生だった担任に『これはちょっと華がないな』と言われ結局私のは選んでもらえなかった。(正直自分でもちょっと何かが物足りないと思っていたから下ろされた事に内心安心した)



文化祭一日目の体験教室では絞り染め体験を選びキレイな模様の風呂敷を作った。



合唱コンクールの順番はくじ引きで決まり、その結果私達のクラスは学校内の全クラスのトップバッターになった。


皆緊張してて歌のテンポがやや早めになっているのを歌いながら私は気づいた。


終わったあとも皆ちょっといつもよりテンポ早かったねと口にしていた。


優秀賞には選ばれなかったけど3年間で一番思い出に残った合唱コンクールだった。


その後、私が合唱コンクールのDVDを買わなかった事で担任の先生に愚痴を言われてしまったけど。


今思えば買っとけば良かったな…なんなら購入を強制にしてくれれば良かったのになんて後悔しています。


マラソン大会



最後のマラソン大会、今まで中間ぐらいの順位だったのに本番当日走っている最中に腰が物凄く痛くなった。



私のクラスは全員が参加しゴールするのを目標に練習してきたからここで私がリタイアしたらクラスの皆をがっかりさせると思い小走りで最後のコースがあるグラウンドへ向かった。


いつもはとっくにゴールしている私がまだゴールしていないのを見て担任が『○○!がんばれ!』と大きな声で言ってくれたのを覚えてる。


痛みをこらえながらなんとかゴールする事ができた。

 

私はその後ひとりで歩けないくらい腰が痛くなってしまい、教室まで友達の肩を借りて歩いた。



その腰の痛みは中々完全に消えなくて数日間腰に負担をかけないように物凄くそ~っと歩きながら学校生活を送った。


階段を登るのもきつかったのによく登校できていたなーあの時の自分は。


それにしてもあの強烈な腰痛がなんだったのか、今でも原因は不明です。


卒業ソング


中学生活も残り僅かという頃、卒業式に歌う歌の練習が始まった。
 

一昨年も去年も先輩達は卒業式で『旅立ちの日に』を歌っていたから当然私達もそれを歌うんだと思っていたけど、先生達の要望で『時を越えて』という曲を歌う事になった。


私は正直『旅立ちの日に』の方がメロディーが好きだったのでその歌になった時にガッカリした…。


卒業式
  





そして卒業式当日。


式典が終わり教室に戻り絶対泣かないと思っていたけど、担任が合唱コンクールで私達が歌った『あなたへ―旅立ちに寄せるメッセージ』をアカペラで歌ってくれた事に涙が我慢できなくなり、結局めちゃくちゃ泣いた。


先生に一人づつ花を渡す時も泣きながら渡した。


何度も叱られたし、厳しくて怖い先生だったけど、色んな事があったからこそ別れが寂しく感じた。


私は先生が担任で良かったとその時心から思えた。

その後、外に出て在校生達のソーラン節を見て、第2グラウンドで皆と写真をとってお別れをしました。



自分の中学3年間を振り返って


この中学3年間で今の私が1番後悔しているのは部活に入らなかった事。


通っていた塾が毎週不定期にある事を理由に部活に入らなかったけど正直面倒くさいってのが1番の理由だった。


今思えばこの時にしかできない経験ばかりだったのにとても勿体無い事をしてしまった。


後悔先に立たずとはこう言う事なんだなと実感しています。


そして卒業式に皆と歌った『時を越えて』


当時は意味を深く考えずに歌っていたけど今その歌を聞くと物凄く胸に刺さります。



あの日の喜びと あの日の悔しさを

つまずいた時は そっと思い出してみよう

精一杯の力出した あの瞬間がいつかきっと

君が生きていく誇りに 変わる時が来るから



精一杯の汗と涙 流した数だけきっと

君が生きていく強さに 変わる時が来るから



この歌詞に込められた先生達の思い、楽しい経験や辛い経験、私の青春時代の人間関係や思い出を今こうやって思い返すと、どれも今の自分にはかかせない私の一部となっている。


私が今こうやって『大人』として生きているのは子ども時代の沢山の人との関わりと思い出と経験があるからだと気付く事ができました。

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