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久しぶりに映画で心が動いた「ちひろさん」

「ちひろさん」というNetflixで配信されている映画を見た。
日常を切り取ったヒューマンドラマなんだけど、めちゃくちゃ泣いたしめちゃくちゃ心が動いた作品だった。

この作品の何が私の中でこんなにも強く反応しているのだろう。

それは、おそらく

「孤独でいること」

をただ肯定してくれる、受け入れてくれる作品だったからだと思う。

私たちは知らず知らずのうちに、友達がいること、家族がいること、結婚すること、家庭を持つことが「良い」という呪縛に絡まってしまっているように思う。

というか、わたしがそうだっただけなんだけど。

その一つでも欠けてしまったら、持つことができなければ、なんだかはみ出しているような気持ちになることがよくあった。

ちひろさんは、それらの概念を優しく吹っ飛ばしてくれるような作品だった。
血がつながっていなくても、まったく知らない人でも、人はつながりあえること。そのつながりは別に会う頻度でもなければ私たちつながっているよね!というような確認作業が必要なわけでもない。

繋がることに理由づけはいらない。

そう、ちひろさんはただただ概念や常識に縛られていなかった。ただただ自由に在る生き方をしていた。
ただただ世界を、人類を受け入れていた。この受容性に、人は安心感と心地よさを覚えたんじゃないかなぁ。

安心するのに理由なんていらないし、わざわざこの人を安心させてあげよう!!なんておせっかいもいらない。ただ受け入れるだけで良いんだなぁって思った。

そして、ただ風のようにふんわりと目的を持たずに生きることの自由さ。
緊張感のなさ。
ちひろさんのように生きたいと思った。

何かを見たときに、わざわざ自分のストーリーをそこにくっつけない。
見たものを見たまま味わう生き方。
自分のストーリーを乗っけずに、「今」の連続を生きていたい。

焦点を、前ではなく横に広げて生きていきたい。
何も所有せず目の前に現れる体験を愛でたい。

そう思わせてくれるとても優しい作品だった。

もちろんちひろさんに悩みがなかったわけじゃなく、言葉で説明こそないものの重いバックグラウンドがある描写もあったから、たくさんのものを抱えて生きているんだと思う。

でも、人ってその人の主観で映画を見るから。自分の中にある「もの」の納得感や共感を作品の中に求めるから。

たとえちひろさんがどんなものを抱えていたとしても、わたしにはその何かは見えず自分ごととしてちひろさんのエッセンスをもぎ取る。

それもまた人間だなぁ〜〜なんて思いながらこれ書いている今なのでした。

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