全員完璧な世界の中で生きている
こうすればよかった。
ああしとけばよかった。
なんて、考える必要が全くないほどに完璧な世界を私たちは生きている。
すべてはただ完璧にそこに現れている。
わたしは思考するのが好きだ。
悩みや問題にぶち当たったとき、それをどうやったら解決できるか、問題を問題と思わなくなるか。そこまで自分を導いていくのが好きだ。
でも、ふと気づいてしまった。
そのためにやっている作業は、自分が知っている知識をこねくり回してただ解釈を変えているに過ぎないのだと。そして、こねくり回せば回すほど深刻に、そして重くなってしまうのだと。
では外側に起きている現象は?何も変わっていないのだ。
その深刻さから抜けるとき、それは突然訪れる。
スーッと苦しみが引いていく感覚。
なぜ抜け出せたのか、理由を思い返してみると、大体はいわゆる
「時が解決してくれる」
という場合がほとんどだ。
だとしたら、解決しようと頑張って頑張っていた「思考する」という行為は、問題の解決に直接関係していない。
という事実に気づいてしまったのだ。
どうせ事実が変わらないのなら、(起こるようにしか起こらないのなら、)あれこれ考えるより、ただ
「ふ〜ん。こういう状況なのね〜。あ、こういう感情出てるのね〜」なんてまるで他人事のようにその状況を見ている方がめちゃくちゃ楽じゃないか?
と思ってしまった。
だって、起こった事実も、起きている事実も、これから起こる事実も変えられないのだから。
そして、それにどういう解釈を付けようが、それは自分の中のことでしかなく、その解釈自体にも意味がないのだから。
ならばいっそ「解釈しようとしない」のが楽チンなのでは、、?
身もふたもない話だけど。。
ただ今起きていることを体験している自分を眺めるみたいな。
はぁ。また、これが今を生きるに繋がるのね。。結局いつもそこなのね。。
何回やってるんだろ。この堂々巡り。
これもまた自然に起こってることなんだけどw
多分、この事実が身に染みるまで繰り返すんだろうな。。笑
みんな完璧な状態で生きている。
すべて完璧。
問題があるように思っても、苦しみを抱えていても、何かが欠けていると思っていても、完璧だということ。
その事実には抗えないということ。
それしか起こりようがなかったということ。
そんな風に体感できると、
他人への妬みも、羨みも、期待も、全て溶けていく。
自分への焦りも、憤りも、期待も、全て溶けていく。
だって、今、ありのまま・今の状態が完璧なんだから。
到達すべき場所も、
他の何かになる必要も、この瞬間には、ない。
こんな至れり尽くせり、ありますか?笑
無条件の、愛。
平等に、与えてくれた、愛。
この気持ち、大切にしたい。。❤️
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