高齢者福祉の概観②

このnoteは、今後の高齢者福祉がどのような理念、思想のもと、誰によって、どのように行われるか、という問いに取り組むべく、これまでの日本における高齢者福祉についておおまかにまとめたものである。

前回は明治期以前から戦後1950年代の生活保護法までの時期についてまとめた。 

 明治以前は救貧者を家族や隣人が救済するという相互扶助が主たる救済であり、それは日本初の統制的な救貧制度である恤救規則や第一次大戦後の救護法においても変わらなかった。
 一方で、明治期には現在の老人ホームの源流となる養老院が民間団体や宗教団体の慈善事業として運営されるようになり、救貧者の保護の担い手が家族や隣人から他者へ移行するという側面が出てきた。さらに救護法においては養老院などの救済施設に公費が給付されるようになった。
 そして、戦後の生活保護法においては新しい憲法のもと、福祉国家として無差別平等と国家責任の原則が認められるようになり、貧困の高齢者を収容する養老施設の費用は全額が公費で賄われるようになった。
 このように、日本における高齢者を含む貧困者の救済は、徐々に家族や隣人から国家へと変化していったいえる。

 今回は1963年の老人福祉法成立からまとめていく。

老人福祉法

 老人福祉法の成立は1963年。この時期に老人福祉法に加えて精神薄弱者福祉法、母子福祉法が成立し、1950年代の福祉三法体制から福祉六法体制に移行した。
 老人福祉法成立の背景としては、高度経済成長による人々の生活スタイルの変化に加えて、高齢者の増加、高齢者の就労機会の減少、平均寿命の伸長、核家族化による家族規模の縮小など高齢者を取り巻く環境が変化したことがある。これを受けて、従来の一部の貧困の高齢者を対象とした救貧ではなく、すべての高齢者を対象に心身の健康の保持や生活の安定を目的として法制度が必要になったのである。
  老人福祉法の意義としては、老人福祉施設およびサービスの法的整備が進んだことと国や自治体の役割が拡大された点が挙げられる。まず、老人福祉施設については生活保護法における養老施設が養護老人ホームとして引き継がれたほか、特別養護老人ホームと軽費老人ホームの役割が体系化された。また、在宅福祉においては以前から国庫補助の対象となっていた老人家庭奉仕員派遣事業と老人福祉センターが法定化され、老人クラブにも国の補助が開始されるようになった。

 このように老人福祉法では、高度経済成長などの社会変化を背景として、高齢者を救貧ではなく、健康や生活の安定という目的で公的に支援するようになる。

福祉元年と福祉の見直し

 福祉六法体制のもと、日本における社会福祉制度は拡大を迎えた。とくに1973年は老人医療費の無料化や年金の物価スライド制が導入され、福祉元年といわれた。この時期の高齢者福祉の特徴として、施設サービスが中心だったことが挙げられる。家族だけでは対応できない高齢者は施設に入所し、施設が家族ケアの代替手段となっていた。

 しかし、1973年のオイルショックなどをきっかけに日本が低成長時代に入ると、それまでの高度経済成長を前提に拡充された高齢者医療制度や高齢者福祉費用が国や自治体の財政を圧迫するようになり、福祉の見直しが迫られた。そして、福祉の担い手として家族の責任を強調する日本型社会福祉論が展開され、国家などの公的支援の役割は福祉の主たる担い手である家族の機能を支援することだとされた。
 また、1982年には老人保健法が制定された。これは、予防からリハビリまで、高齢者保健医療の総合化を目的としたものだった。高齢者の医療費については、国、自治他、各医療保険で分担することとし、高齢者も一部負担する制度が導入された。
 さらに、この時期は高齢者福祉において脱施設化の動きが見られるという特徴もある。日本型社会福祉論による家族役割の強調や高齢者も住み慣れた家や地域で継続して生活できるようにすべきという考え方から、在宅福祉サービスが拡大した。実際に、1983年の「1980年代経済社会の展望と指針」や1985年の社会保障審議会「老人福祉のあり方について(建議)」において、施設福祉から地域・在宅福祉への政策転換、整備が推進された。

 施設から在宅からの転換という流れで捉えられるのが1989年の「高齢者保健福祉推進十か年戦略」通称ゴールドプランである。ゴールドプランでは、福祉施設の整備以上に在宅福祉政策の整備に重点が置かれた。また、1990年の社会福祉関係八法改正での在宅福祉サービスの積極的推進が提唱された。1994年の「新高齢者保健福祉推進十か年戦略」通称新ゴールドプランでは、予想以上の高齢化の進行とニーズの拡大からゴールドプランの見直しが行われ、利用者本位や自立支援、地域主義といった理念が掲げられた。さらに、1999年の「今後5か年間の高齢者保健福祉施策の方向」通称ゴールドプラン21では、地域福祉の整備が強調された。具体的には、在宅福祉を基本として、高齢者が自立して尊厳をもった生活を送れるよう、介護家族を地域で支援する方向性となっている。

 このように、日本は1970年代前半までは経済成長を前提として福祉サービスを拡張していおり、高齢者福祉は施設サービスを中心に、家族では支えきれない高齢者を支援してきた。しかし、1970年中盤から経済成長が鈍化すると財政が圧迫され、施設サービスから在宅サービス、家族役割の強化へと福祉の方向性が転換することになり、この流れは1990年代まで継続する。また、1980年代には高齢化の進展、介護の長期化などにより高齢者に福祉ニードも増加、多様化する。これに伴い1990年代にはゴールドプランなどが制定され、在宅福祉の強化、高齢者の自立支援の強化、地域福祉の整備などが進められた。高齢者福祉の目標は自立支援、担い手は家族でそれを地域が支えるというかたちになったといえる。

介護保険制度の成立

 1990年代に入り、急速に高齢化が進展するとともに、認知症の高齢者が増加する一方、女性雇用の拡大、核家族化により、家族の介護機能が低下し、高齢者の介護が社会的な問題となっていた。また、それまで老人福祉法と老人保健法の2つの異なる制度上で行われていた高齢者介護において、利用手続きや負担の不均衡、措置制度、社会的入院などの問題が起きていた。そこで、老人福祉と老人保健の両制度を再編し、高齢者介護を社会全体で支える仕組みとして、1997年に介護保険法が制定され、2000年4月から施行された。介護保険制度は契約制度の導入や担い手として民間企業やNPO法人の参入を促進した点に特徴がある。

 介護保険制度は3年ごとに制度の見直しが行われており、2003年には将来的な高齢者のさらなる増加を見込み、「高齢者の尊厳を支えるケア」を理念に具体的なサービス体系のあり方が提案された。また、2005年には法改正が行われ、介護保険制度は予防重視型へ転換し、地域の特性に応じたサービスを提供するために、地域密着型のサービスが設置された。20011年の法改正では、地域包括ケアシステムの実現が掲げられた。地域包括ケアシステムでは、高齢者や要介護者が住み慣れた地域で人生の最後まで安心して生活できるよう、地域で医療や介護、生活支援が一体となって構築される体制を指す。2014年の改正では、訪問介護、通所介護が地域支援事業に移行した。本校では詳しく取り上げないが、2010年代からは介護保険の持続可能性の問題も大きな課題となっている。

 2000年以降は医療制度においても変化があった。2006年には「健康保険法等の一部を改正する法律」の中で、75歳以上の後期高齢者を被保険者とする医療保険制度が創設された。また、2008年には老人保健法が改称され、後期高齢者医療制度が施行された。後期高齢者医療制度の保険者は都道府県単位で全市町村が加入する後期高齢者医療広域連合が担う。

 このように、介護保険が施行された2000年以降、高齢者福祉の目標は高齢者の尊厳を支えること、その目的としての介護予防の強化、その担い手として地域の公的機関、民間企業、NPOという構図になっている。

まとめ

 はじめに書いたとおり、このnoteは今後の高齢者福祉がどのような理念、思想のもと、誰によって、どのように行われるか、という問いに取り組むべく、これまでの日本における高齢者福祉についておおまかにまとめたものである。そこで、最後にこれまでの日本の高齢者福祉を上記の観点で改めてまとめたい。

 まず、高齢者福祉の対象について。明治以前から戦後の1950年代まで、高齢者福祉の対象は貧困かつ支え手がいない高齢者だった。彼らは高齢だからではなく貧困だから支援を受けていたと言える。しかし、1963年の高齢者福祉法において高齢者は高齢だからという理由で支援の対象となりえた。これ以降も高齢者福祉は幾度となく見直されているが、65歳以上の高齢者を対象とする、という点においては一貫しているといえる。
 つぎに、高齢者福祉の理念や思想について。明治以前から戦前までは高齢者の支援はその家族や住民が行うとされていた。これは封建時代から続く地域共同体の名残だと考えられる。しかし戦後、日本国憲法が制定され、憲法25条において国家による国民の生存権の保障が掲げられた。また、旧生活保護法では国家責任、無差別平等が原則とされた。これらの理念や原則は、福祉国家として現在まで引き継がれているが、実際の制度に着目すると経済成長が減速した1970年代中盤以降からは再度、高齢者の支援における家族の重要性が指摘されるようになり、戦前の思想や理念が消失したわけではないことがうかがえる。
 高齢者の支援の担い手は基本的に、理念や思想の変化に伴って移行する。戦前までは家族や隣人が高齢者の支援の担い手であるべきという思想により、実際に彼らが担い手となっており、担い手がいない貧窮者が篤志家や宗教団体が運営する施設に収容されていた。ただ、1929年の救護法では貧窮の高齢者を収容する養老院に公費が給付されるようになり、経済的な負担を国家が担うようになる。さらに、福祉国家が成立すると戦後の生活保護法では高齢者の収容施設である養老施設における保護費が全額公費負担になる。しかし、1970年代中盤以降の低経済成長時代に突入すると、日本型社会福祉論が展開され、高齢者の支援の担い手を家族へ戻す動きがうまれる。そして、高齢者の支援を担う家族、それをサポートする地域、という構図になる。さらに、女性の社会進出や核家族化により家族が高齢者支援の担い手としての役割を果たせなくなると、新たな担い手として地域の役割が大きくなる。また、介護保険制度成立以降においては、地域で高齢者を支援する仕組みを確立させながら、民間企業やNPO法人の担い手として役割を促進させている。
 高齢者の支援の体系は1963年の老人福祉法成立以前は施設中心で、困窮した高齢者の支援は施設に収容する、というかたちで行われた。しかし、1970年代の中盤以降は福祉の見直しが行われ、在宅サービス中心へと移行した。そして、1980年代、1990年代も在宅サービスの整備が進められ、ゴールドプラン等においても施設サービスよりも在宅サービスが重点的に整備された。介護保険制度成立以降も在宅中心主義に変化はないように見られる。

 以上のことを踏まえると、高齢者福祉の対象や理念の変化は社会変化や経済変化に伴っている事がわかる。今後、起こる社会変化としては高齢化や家族の介護機能の低下などこれまで見られた変化がさらに加速するに加えて、人口の減少、人口の都市への集中、介護人材の不足、高齢者へのインターネット端末の普及などがある。また、経済変化は人口減少に伴う経済規模の縮小、国家財政の縮小などが考えられる。次回は、これらを踏まえて今後の高齢者福祉がどのように変化するかを考えていく。


参考

『高齢者に対する支援と介護保険制度 <第5版>』,福祉臨床シリーズ編集委員会 編・東康祐 責任編集・原葉子 責任編集
『社会福祉学』,平岡公一・杉野昭博・所道彦・鎮目真人