3 「自立」と「幸せ」



ⅱ 買い物をする
https://note.mu/welfare/n/n8f30808df26d


支援者が利用者を支援しようとしたとき、
どうすれば今の生活がよりよくなるかを考える。

あるいは、
どうすれば状態をなるべく維持できるかを考える。

過度に支援に取り組むあまりに、
その努力が悪影響を生んでしまうことがある。

たとえばこのような場合を考えてみる。

利用者に熱い想いを持って入社した若い社員が、
利用者のためを思って日々支援に励んでいるとする。

その若手社員は、次第に施設内の利用者のことが分かってくる。
そのうち支援の計画を作ったり、担当についたりするようになる。
すると、「この人のことを一番理解しているのは自分だ」と思ってくる。

利用者を最も理解しているという自負があるからこそ、
「利用者のためを思って考えた」支援の計画の通りに
利用者を促そうとする。

しかし、利用者も一人の人間だ。
必ずしも自分の思ったようにことが運ぶとは限らない。

うまくいかない現状を見て、
焦りとも不安ともつかない感情が自分の中で渦を巻く。

「こんなに思いをもってやっているはずだから、
自分が間違っているはずがない、一生懸命に伝えたら、
利用者は分かってくれるはずだ」、と思う。

一生懸命に関わろうとするがゆえに、
支援とニーズが一致していなかったことに支援者が気づかなかったら、
どこでそれに気づくのだろう。成長させるためのプロセスは大事だと思う。
ただ、その歩みは、利用者自身の手によって進められなければならない。
成長はさせられるものではなく、自らの自己決定で選ぶものだ。
その歩幅も、速さも含めて。

私自身が、グループホームのある利用者の保護者から言われたひとことが、今も忘れられない。

「あなたたち支援者は、利用者の自立ばかりを考えるけれど、
利用者の幸せや充足を考えていない。
支援で本当に大切なものが何か、考えてほしい」

当時の私は、頑張っていたことにうぬぼれ、
自分の考えた支援が正しいと思い込んでいた。

その利用者は作業所に通って数万の工賃を稼いでいた。

生活のための貯金に充てることを私は最優先していたので、
小遣いのやりくりについて、
「先々のことを考えて必要最低限で抑えるべきではないか」
という意見を持っていた。

「小遣いを僅かでも高めて毎日が少しでも充実するのはどうだろうか?」
という考えも利用者の家族から挙がったが、
私は余暇や遊びの面まで目が行っていなかった。

全くの否定はしていなかったし、
定期的にそのような取り組みはあったのだけれど、
それでも、余暇は人生を豊かにするためではなく、

仕事を頑張るための気晴らしという認識だった。
そうして貯金をするべきだ、という意見の私と
人生の充実を求める家族とですっかり意見が対立してしまっていた。
そしてその一言を言われるのに至ったのだった。

今振り返ると、制限が過剰だったかもしれない。
もっと話を聞いたり、
本当に欲しいものが何かを一緒に考えたり、頑張らせるだけではない、
何か豊かさを目的とした関わりがあったのではないか。

本当に大切なのは、私のやりがいや達成感ではなかった。
正直、私の中に評価してほしいという承認欲求があった。

それを利用者に求めてしまうと、結局苦しいのは利用者で、
そのような姿を私は願っていたわけではなかった。

利用者の幸せな生活を願っていたし、
尊厳を持って生きていってほしいと思っていた。
そのための支援のはずだった。

「どうしてこうなってしまったのか」
「私は何を見落としていたのか」

記憶を辿ったけれど、どこまでが虐待ではない支援で、
どこからが虐待にあたるのか。その境目が分からなかった。
もしかしたら、最初から違っていたのかもしれない。

当人が望んでもいない成長はただの強要であり、
支援者の正しさの押しつけにしかならない。

そのプロセスは、
ただ支援者から言われたままを行うだけの受動的なものだ。

利用者が本当に何を望んでいるのか、想像することはできる。
同時に、分かったつもりになることも、簡単だ。

だからこそ、簡単に勘違いもする。その容易さと、
本当の理解の困難さには隔たりがあることを、覚えておきたい。

人を支援するということは、言葉で語るほど、簡単ではない。

そもそも支援とは、難しいものだ。資格があればできる、
知識や資格があれば誰でもできるというものではない。

技術だけではない、
「人と関わる」という根源的な能力が必要なように思う。

それを「コミュニケーションスキル」と言うには、
言葉の意味する範囲が狭い気がして。
でも、「共感能力」とも違う。
ただ理解すればいいというものでもない。

「支援をするのに必要な能力とは」を語るのは容易ではない。
もしかしたらとても感覚的な、理論や理屈では説明しがたい、
根源的な「何か」であるようにも思う。


4 「ただの他人」から支援は始まる
https://note.mu/welfare/n/nc0e799bece85


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