12月13日
悩み相談とかで話を聞いていると、「人生なんてどうしようもない」とか「私の人生どうしてこうなっちゃったんだろう」みたいな人と出会ったり、「なんかそれじゃない感」みたいなものを感じることがあって。
そんなことないよ。大丈夫だよ。とか言ってあげたいのだけれど、その人からしたら「こんなのはちょっと違う」というあきらめと言うか、失望と言うか、絶望と言うのか、そういうものを聞くと、たまらなくて手を差し伸べたくなる。
その冷え切った何かを温めてあげたくなる。
話を聞きながら、暖炉に薪をくべるみたいなイメージで、少しずつ火をおこすように言葉をかけて、何か温まるようになるといいな、と思っている。
それでも届かないこともあるし、気づかないうちに遠くにいってしまうこともあるし、温まることを諦めているひともいるし。自分から水をかけてしまう人もいる。
私はかつて自作の詩で星になりたいと語ったことがある。
照らし輝き 眩く熱く灯り そうしていつか光そのものになる
そういうイメージを持っている。
掠れてしまうことも 曇ってしまうことも 消えそうになることもある。
でも誰かを気にしなければ 自分で自分の心に薪をくべることは簡単だ
一人で生きていこうと思えば 何も怖いことなんてない
でも、そういう生き方とは決別をした
疲弊しても 何か温かなものを誰かに
そんな願いなのか依存なのか祈りなのかよくわからないものを信じている。
本当に信じてこの手を取ってくれるなら 一緒に歩いてくれるなら
行きたい場所に 見たい風景まで 連れて行ってあげられるのに
でも多くの人が 担いで運んで行ってくれると勘違いをしてしまう
そうじゃないの。歩くのは、あなたの足。 あなたが進まないと、何も変わらないの。
すこし悲しくなりながら、その手を離す。
でもその手を握り返してくれる人もいる。
その温かさがあるなら、何度だって顔を上げて明日を見られる。
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