12月27日


「高校生が羨ましい」「可能性の塊」という言葉を聞いて、ふと思い返す。

私は高校生が羨ましいだなんて思わない。高校生の時なんて将来なんて見えなくて。不安しかなかった。勉強ばっかりしてこんなんで将来の何に結び付くのだろうって思っていた。

それは大学生になってからも同じだったけれど。でもあんなにも自分のやりたいことに熱中した時間は他になかったような。でも私にとっては今が最高だから、大学生に戻りたいとっも思わないけれど。やり直したいなんて思わないし、やり直したら最短距離で現在地を目指してやっていく、て思うし。そう考えたら今の経験はすべて財産で。だからもう二度と繰り返したくないけど乗り越えたものが糧になってくれている今が、もうそれだけで十分で。

強いて言えば、私は大学生が羨ましい。可能性の塊、という意味では、それは大学生だと思って。何をしても自由で。あんなに自由な時間はなかったし、再考すると、今度は文学部でちゃんと理論を学びたいな、という気持ちはある。それはちょっとしたないものねだりのようなもの。

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