3 「やってあげること」が支援なのか


2 支援者は眼になろうとしている
https://note.mu/welfare/n/n4f106e1a3b01?magazine_key=m8d74f67f43fb



「支援」には、大きく分けて
「サポート」と「ケア」の二つの性質があると思っている。

「サポート」は取り組む物事をより促進していくような働きであり、

「ケア」は傷つきへの癒しや共感といった
苦境への救いのような働きである。

これは「支援」の両輪になると思っている。

「支援」と聞いて補助としての(つまり必要最低限の支えとしての)
「サポート」の方を思い浮べると、
「できるから、問題ない、安定している」と捉えたり、
「自分でできるように促さなければ」と思ったりするし、
積極的に関わろうとしたら逆に「何かやらなければ、手伝わなければ」
と思うことになる。

でも、できるかどうかは、「ケア」には関係がない。
それはできないことを肯定するような寄り添いでもあったりするからだ。

それは父性と母性の関係に似ている。
励ますのか、受け入れるのか。その両輪の話なのだ。

父性・・・条件付けの愛情
母性・・・無条件の愛情

サポートの部分が強すぎれば
能力の範囲の限界によって上手くいかなくなってくるかもしれないし、
ケアの部分が多すぎれば、逆に意欲の部分で停滞してしまうこともある。

ケアの要素を強めて近寄りすぎれば、依存してしまうからだ。

ときとして、誰かに何かをやってもらうことになれてしまった利用者は、
支援者が言うことを聞かなければ逆上して、
自分の意のままに他人を動かそうとすることもある。

逆に支援者と利用者の距離感が遠すぎれば、
頼れずに孤立させてしまうことだってある。

基本的に支援の主体は利用者にあるから、
利用者本位でなければいけないが、
支援者には「支援」を成立させるために
立ち位置を明確にした役割や関係性の線引きが必要になる。

大切なのは、「支援」のための関係を
支援者がどのようにデザインするかということだ。

「どのような立場からの声かけが一番伝わるだろう?」
「どのような眼差しを持って接すれば届くだろう?」

そう考えたときに、互いの立ち位置のために、お互いを守るために、
支援者は線を引く。

依存が苦しみを生むことは多くの人が知っている。

支援者の関係性がもしも利用者に合っていないのだとしたら、
苦しんだり傷つくのは、最終的には利用者なのだ。

叶えたかった未来はそこにはなかったりする。
社会的な常識や正しさを図る物差しが、
すべてにおいて当てはまるとは言えないのが難しい。


4 支援における価値観とは
https://note.mu/welfare/n/n99cdf004876b?magazine_key=m8d74f67f43fb


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