「人のことを許せません。人格障害なのだと思います。」


はい、ご相談ありがとうございます。

多くの人に当てはまるか、と言ったら、分からないですが、
話してこうと思います。
心当たりのある方、どうしても人のことが許せなくて苦しい、という方、
もしよかったら、お付き合いください。

はい、では話していきますね。

まず、人のことを許せない、という感情はどこから来るのか、という話で、
これは怒りなんだと思います。そういう激しい感情なんです。

だからコントロールや、相手への非難をやめることが難しいのだと思います。

一つは、非難自体を、受け止めてもらう、(聞いてもらう)体験が必要。
あなたが自分を優先することは、あなたは自分に許していないのかもしれません。
そんな思いやりのないことをする自分は許せない、となってしまうのかもしれません。

から、とても止めにくい。ならば、それを受け止めてもらう。とめない。
でも、非難しながら、ちゃんと考える。
相手の立場も考える。
そして、感情的な「許せない」、と相手の説明の状況を分けて聞く。
これを順番にする。
ちゃんと責めたら、ちゃんと、相手の話を聞く。
そしてコミュニケーションを取っていく。(対話が大切)
「私はこういうのが嫌いなの。
あなたが(遅れる/できなかったとか)ことは分かった。
私もいいすぎたかもしれない。
あなたの人格を否定するようなことを言ってしまっていたなら、それはごめんなさい」
と正しさとか間違いとかを抜きにして、ちゃんと大人として、接していく。

こういうコミュニケーションをしながら、「非難をしてしまう自分」をまるごと受け止めてもらう経験を重ねていく。
非難するのは、許せないからです。
そして、許せないのは自分のことを許せないからです。
だから、許されることを重ねていくことで人を許せるというマインドを、学んでいく。

続いてあなたは正しい。という話をします。

あなたは正しい。
しかし、正しさとは、ひとつではないのかもしれません。という話です。
十人いたら、十通りの正しさがあり、主張がある。
きっとあなたにはあなたの主張がある。
しかしそれが、社会的には許容できない。そういう場合もある。
あなたが正しいからと言って、その人を傷つけたら、傷つけるという行為は社会は許していないわけです。肉体的なら傷害だし、精神的なら名誉棄損です。
でもそうなると、生きづらいとおもうんです。

正解の見えにくい、難しい問題です。
あなたが正しいと思うのであれば、私はあなたの正しさを応援します。
しかし、その正しさが人を傷つけるのであれば、私はそれには賛成ができない。
それが社会の在り方なのだと思います。

正しさを主張するには技術が必要です。
それはコミュニケーションスキルの話だと思うんです。
「こうするべきだ」と話すのと「こうするのがいいと思うんだけど、どう思う?」では、まったく印象が違いますよね。ストレートにぶつけるだけがコミュニケーションではありません。

傾向として、価値観は何かの家庭の立場や境遇からくる自負心が根っこにある場合があります。色んなことを背負ってきたのだと思うんです。

これまでの流れで言うと、
私は、あなたの正義は曲げなくていいと思います。だって、それがあなただから。
あなたにはそれだけの何か信念とか、矜持とか存在をかけて、なにか、託している。
そんな気がしたんです。しかしそれでは生きづらい。

自己中心的でいいんですよ。それが人間です。
悪くないと思いたい生き物ですし、自分が正しくありたいと思うものです。
そして、できれば被害者でいたいと、思ってしまうものです。

もしあなたがその激しさをぶつけてはいけないお相手に出会ったら(いたら)
それはチャンスです。その時、あなたは落ち込んだり、迷ったり、苦しむはずです。
あなたが正しいはずなのに、それをぶつけられないから。
そうすると、間違っているのは自分かもしれない、となるわけですよね。
その苦しみは、とても大切なんです。
真正面から、あなたの価値観をまるごと受け入れていく、という過程なんです。

だから、揺らぐんです。
その揺らぐ姿が、私は正しいのだと、励ましたい。
自信なんて、ないですよ。当たり前です。
でも、それでいいじゃないですか。不安でも進んでいる。
あなたはそうやって、毎日を頑張っているんです。

まとめ
・あなたは正しくていい
・許せないと思っていることをしてしまっているあなたも許されていい
・許せないことは、ぶつけるのではなく、上手に伝える
・分かり合うことを大切にする。
・迷ったり落ち込んだら、それはとても大切なこと。

参考になれば、幸いです。
goldenslumber02@gmail.com
@socialwellfare
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