五章 福祉の可能性を探して 1 社内:社員の悩みを聞くようになって

5: 三事業所から福祉について考える
https://note.mu/welfare/n/n28552291792f




ここまで読んでくれた方は、
福祉が特定の人たちを相手にしていることが分かるだろう。

私も福祉を学ぶうちに、
たとえば児童や障害といった特定の領域の中から選んできたように思う。

しかし、これまでの福祉実践を振り返ったとき、分かったことがある。

私はどうやら利用者への支援を通して身に着けた「技術」を活かして、
どこまでその領域を広げていけるかを挑戦しようとしていたらしい。

2章にも書いたが、学童をやめて障害者福祉施設で働き始めた当初、
私は自己研鑽に余念がなかった。

とにかくいい支援がしたくて、
「やるしかない」という切実な思いを持ちながら努力していた。
しかし、今思えば、その熱量にはどこか危うさもあった。

私が勤めていた施設は、当時立ち上がって間もない組織であり、
福祉に関して知識のある人も少なかった。

働く人が多くなるにつれ、
私も含めた職員の多くがいつしか研修の必要性を感じるようになっていた。

社会福祉士の資格を持っている私が、
研修の講師を担当するようになったのは自然な流れだったが、
今思うと私が担当した初めての研修は
かなり一方的なコミュニケーションになっていたと思う。

最初の頃、私は詰問調で間をあけずに次々と問いかけてかけていたのだ。

たとえば「支援で必要なこと」を受講生に問いかけたときに
「利用者に寄り添う」という答えがあったとする。

その場合には私はこのように訪ねていた。

「なぜ寄り添うことが必要なのか?」
「作業をしたくない、と言ったらやらなくていいと言うのか?」
「ほかの利用者がその姿を見て、
 自分も作業をやりたくないと言った場合のことは考えたか?」

このようなことを問いかけて、
受講生が答えに詰まると
「確かに、見た印象だと利用者に寄り添うのは適切だと思えるが、
 どのように寄り添うべきか分かっていないのに、
 正しそうという理由でただ寄り添おうとして、意味があると言えるのか」とさらに問いかけていく。

黙ると「なぜそもそも寄り添うのが大事だと思ったのか」と聞いていく。
黙り込むことさえも許さないような緊張感に耐え切れず泣き出す人もいた。

研修を受け持って気負っていたし、
参加者には福祉を学ぶことの難しさに直面してほしかった。

「利用者の人生に携わる仕事なのだから、それくらい厳しい研修で当然」
と思っていたのだ。

しかし、研修の仕事も数年続けるうちに、
次第に孤独感とやるせなさを感じるようになってしまった。

なぜなら、どんなに研修を重ねても、職員は辞めていき、
新しい職員の補充がされて、
それに合わせて研修がされるということを繰り返していたからだ。

この繰り返しを経験するうち、
何か意味があることをしているという感覚よりも、
虚しさや徒労感の方が強くなっていったのだった。

研修の仕事は、実際に登壇する時間に加えて、
資料の用意や研修内容の組み立てなど、多くの作業が伴うものだ。

日々の業務に加えて、そうした仕事も増える。
従業員が増えればそれだけ研修の頻度も増える。
負担は年々増していく。さらにほかの事業所のヘルプもする。

そうした日々はまるで山を駆け上がるかのようだった。
だからこそ、数年経って息をつくように立ち止まったとき、
私は孤独を感じていた。

独りで仕事をすることはできないのにも関わらず、
一人で頑張ろうとしていた。

一人で頑張ろうとする孤独感は、
学童に勤めていた頃を彷彿とさせるものがあり、
途端に自分の努力がどこにも結びつかないような気がして、
つまらなく感じたのだった。

「最高の支援を」と急ぎ足で頂上を目指してきたけれど、
孤独に気がついたとき、私は福祉実践の登山を下山することに決めた。

別に努力をあきらめたわけではないし、投げやりになったわけではない。

ただ、一人で努力を続けながら仕事をすることが苦しくなっていた。
仕事ぶりは周囲から評価されていたものの、
嬉しさより虚しさの方が大きかった。

当時の私の働き方が、
いつの間にか「仕事が全て」のようになっていたのだ。
仕事の達成感だけをただひたすら求めたにも関わらず、
「自分の人生は仕事だけでいいのか」とやりきれなくなったのだ。
さらに評価や給料を受け取っても私はもともと自己肯定感がとても低く、「こんなにもらう価値がない」と思ってしまう。
その差が苦しかった。

私はどのように仕事に向き合えばいいのか分からなくなりつつあった。
「利用者の人生に携わる仕事なのだから、それくらい厳しい研修で当然」
だと信じていたが、
本当にそうなのだろうか。
自分が受講生に伝えようとしていることは、果たして本当に正しいのか、
という迷いが生じるようになった。

そのようなとき、自分なりの答えを模索する受講生の姿がふと、
何も分からない中、
手探りで支援を考えていたかつての自分と重なって見えた。

そのとき私は問い詰めるのではなく、
問いかけるような言い方になっていた。

私は受講生の答えた「なぜそう思ったのか」に耳を傾けていた。
まるで学童で働いていたときに私が私自身に
「なぜそう感じたのか」に耳を澄ませるのと同じように。
子どもに「なぜ」を問うように。

私ははっとするものを感じた。
同じだったのだ。
利用者に歩み寄るのも。
自分に寄り添うのも。
受講生に耳を傾けるのも。
すべて繋がっていた。

対象が違うだけで、
学童で働いていた頃に
支援を変えたプロセスとまるっきり酷似していたのだ。

これまでの研修のやり方を捨てて、
私は応答の中で見えてくるものを大事にしようと思った。

双方向のコミュニケーションが多くなり、お互いに話し合って、
そこから見えるものを大事にする在り方に研修が大きく変わっていった。

その人の認識や考え方が、そのまま理解の仕方になる。

だから私が研修講師として本来焦点を当てるべきは、
どのような理解をしているかよりも、
どうしてそのような理解に至ったのか、
という思考過程を紐解くことだったのだ。

続いての項目で述べるが、
奇しくもそのプロセスはカウンセリングにも似ていた。

2 自分:支援のつまずきを機にカウンセリングを受けるhttps://note.com/welfare/n/nee42a76c28db


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