2 学童:教科書通りにはいかない


一章 児童の世界
1:福祉のきっかけ
 https://note.mu/welfare/n/n9cb060be39c3


そうして福祉を本格的に学びはじめ、
講義が増えていく中で、
母親からアルバイトとして学童を紹介された。

特段子どもが好きというわけではないし、
将来的に児童関係の仕事をするというイメージもなかったけれど、

自分も
「福祉を勉強していることだし、
学童で働いてみることで、何か学べるかもしれない」
という理由で、誘われてアルバイトをしたのが福祉実践の始まりだった。

学童のアルバイトとして、
一緒に遊んだり、宿題を見たりと、子どもと関わり始めたのはいいけれど、
子どもたちとうまく関係を作っていくのは、
思うようにいかないことばかりだった。

そもそも、
私は友達作りをはじめとして、
人間関係がそれほど上手なほうではなかった。

どちらかと言うと、
人と関係を築いていくことへの苦手意識のほうが強かったように思う。

同年齢の友人関係さえ上手く作れない私が、
年齢が全然違う子どもと信頼関係を作っていくのは、なおさら難しい話だ。

だから、
アルバイトを始めた頃は何か叱らなければいけない場面があっても、
上手く注意ができなかったりして、
正規の支援者から見ているだけの姿勢を咎められたりした。

しかし、
どのような声かけをすればいいのか分からず、困惑するばかりだった。

大学の児童福祉関係の教科書を参考に子どもたちと関わろうと、
本をめくってはみたけれど、そこにあるのは障害や発達段階の説明だけ。

「子どもとどうやって関係を作るか」
といったノウハウは書いてはいなかったのだ。

今でもよく覚えている場面がある。
おやつのあと、ある子どもが乱雑に食器を片づけていたときのことだ。
その子はたしか、自閉症スペクトラムだったと思う。
支援が教科書通りにはいかないことを痛感した出来事だった。

自閉症スペクトラムの子どもと関わるときの声かけの要点について、
「短く丁寧に」「分かりやすい言葉で」「具体的に」
などと教科書には書かれていた。

だから、私も教科書通りに、
皿を置く場所を指さして「ここにゆっくり置いたらいいんだよ」、
とその子に伝えてみたけれど、
「うるさい」とひとこと言うだけで、聞く耳を持ってくれなかった 。

それまで全く、
福祉の現場に入ったことのなかった私は
「経験などなくても、
 とにかく教科書の通りにやれば上手くできるのではないか」
という期待を持って学童のアルバイトを始めていた。

実際、私は勉強には手を抜かなかったし、
人よりも知識を持っているはずだった。

しかし、そのような期待や自信は、
その子どもの「うるさい」の一言で簡単に砕かれてしまった。

結局、本人に確かめられたわけではないので、
その子が粗暴な態度を取っていた本当の原因は分からない。

でも、今にして思えば、
皿の扱いが「分からなくて」乱雑だったのでなくて、
きっと「いらいらしていて」乱雑だったのではないか。
子どもの立場になって考えるなら、
苛立っているのに「こうした方がきれいに片づけられるよ」
などと言われたら「うるさい」のひとことも言いたくなる。

もしその場面を、
自閉スペクトラムという特性を抜きにして
「なんか嫌なことでもあったのかな」と思えていたら、
全然違った声かけになったのだろう。

今思えば、
その施設は学校の教室の半分くらいの大きさの部屋で
20人くらいの子どもたちがひしめく環境で、
その子からしたらストレスの多い場所だったに違いない。

しかし、
当時の私は子どもの置かれている状況などを理解しようともせずに、
「障害って難しいな」と思ってしまっていた。

ようはそれだけ子どものことも、障害のことも、
なにひとつとして分かっていなかったのだ。

3 つまずき:怒ると叱るは違う
https://note.mu/welfare/n/n016ae8da529f


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