3 つまずき:怒ると叱るは違う



2 学童:教科書通りにはいかない
https://note.mu/welfare/n/n1ab915239269

そのアルバイト先の学童で、とりわけ信頼を寄せてくれた子がいた。

その子をAくんとすると、
Aくんはほかの友達と関わろうとしない子だった。

多くの子がみんなの中で遊んでいくさなか、
彼は一人でぽつんとほかの子の遊びを眺めていた。

Aくんを見たとき、「本当は友達と遊びたいのかもしれない」と感じた。
でも、これは私の勘違いなのかもしれないし、
大人の考えの押しつけになってはいけない。

だから、まずはAくんがどうして一人でいるのか、
関係を作って探ってみることにした。

何かとAくんを気にかけて見ているうちに、
まずはAくんと私の一対一で遊ぶ時間が増えていった。

それとなく、「みんなと遊ばないの?」と聞いてみたら、
Aくんは「遊ばない」と首を振る。

「一人が好き?」と聞くと、それも違うらしい。

話をしていくうちに、どうやらその子は
「どうやって輪の中に入ればいいのか分からなくて、
しりごみをしてしまった結果、一人になってしまう」
ことが分かってきた。

それからというもの、私はAくんと丁寧に向き合う時間を作りつつ、
大勢で遊ぶ機会がつくれるよう意識した。

私が子どもたちの輪の中で遊ぶことになったときは決まって
「Aくんも入れてほしいんだけど、どう?」と、誘ってみる。
でも、Aくんは「いいよ」とためらってしまう。

「じゃあ、入りたくなったら言ってよ」
と少し考える時間をとってもらい、
Aくんと離れたり傍にいたりをくりかえしながら、
「一緒に遊んだらきっと楽しいよ」というメッセージを、
しつこくならないように何度も伝えていた。

できることなら「誰かと遊ぶのも、一人でいるのも、自由に選べる」
ということを大事にしてほしかった。

そのようなことを繰り返すうちに、
その子は自然と友達の輪の中に入れるようになっていった。

最初の頃こそ、私がいないと不安そうにしていたが、
いつの間にか、私がいなくても友達と楽しく遊べるようになっていた。

ある日、Aくんの保護者が別の職員と話している中で、
「金原さんにお礼を伝えてほしい」と言ってくださったことがあった。

Aくんは家に帰ると、私の名前を挙げながら、
かけっこ遊びをしたとか、こういう風に過ごしたとか、
保護者に楽しそうに話していたのだという。

学童で上手くなじめるだろうか、と心配していた保護者としては、
いつも気にかけてくれる職員がいて、
子どもも楽しく過ごせていて、とても安心したということだった。

その話を聞いて、私はとても嬉しくなった。

私としては、
子どもたちに学童にいる時間を楽しく過ごしてほしいと思って
試行錯誤した結果で、仕事として頑張っただけのことだったのだが、

「子どもと関係を築くことが、
その保護者や家庭を支えているのかもしれない」

という発見は胸があたたかくなるものがあった。

その後、学童の職員を目指すきっかけとなる出来事があった。
それは、学童の子どもたちと外遊びに行ったときのこと。

友達の輪に入れるようずっと気にかけてきたAくんが、
「一緒に遊ぼう」と、
ジャングルジムに向かって私の手を取って走り出した。

手を引かれるままに走る私は改めて、
Aくんの手がとても小さくてあたたかく、
一生懸命に生きていることに「衝撃」を受けていた。

「子どもは大切な存在」という理屈は頭で理解していたけれど、
実感として、その手は未来そのものだと思ったし、
何があっても守られなければならないと強く思ったのだ。

私が学校で学んでいることは、
手を繋いでいるこの子をどうやって大切に育むか、
ということなのだと腑に落ちて理解ができたのだ。

私は、Aくんが私から離れた後も、
私なりに子どもの傍で見守れるような立場でありたいと思った。
そのときから私は本気で福祉を仕事として志し始めたのだった。

福祉を志すことを決意して、すぐのことだった。

私は、子どもたちの信頼関係の構築に、またしてもつまずいていた。

子どもたちが言うことを聞かなくなっていたのだ。

学童を将来の進路に決めてから、
指導員として
「ちゃんとできるようにならなければ」
と気負い始めていた私は、

子どもたちに言うことを聞かせることが正しいと思い込んでいた。

でも、注意をすればするほど、子どもたちは言うことを聞かない。
どうすればいいのか、焦るほどうまくいかなかった。

子どもが机に乗る。私は注意する。
子どもが笑い、言うことを聞かずにずっと机に乗っている。

そうしたら、私はその子の手を取って
机から無理やりにでも降ろすしかなくなってしまう。

そして、床に降ろされた子どもは、もっとはしゃいで再び机に乗る 。
どう見てもわざとやっている。

その子の悪ふざけを止めようと思って、私がもっと強く怒るしかなくなる。
そういうやりとりがいいわけがない。

しかし、そうして怒っている私に、あるときふと、一つの気づきがあった。

「何度言ったら分かるんだ」
「言うことを聞かないからこうやって怒られるんだ」

私が学童で子どもたちに対して怒っていた言い方が、
私の親と同じだったのだ。

子どものころ、親の怒り方がどうしても嫌だった。
一方的な言い方には傷つくものがあったし、
もう少し「子どもの事情」を聞いたり、
できなかったことがあるのなら、
どうすればいいのかを一緒に考えたりしてほしかった。

できないから怒られる、という体験を重ねたことで、
できない人が悪いのだから、怒鳴ってでも指摘をしてもかまわない。
私もそのような考え方になっていたのだと思う。

自分が子どもたちに発する怒りの声が、
親の怒り方と重なっていると気づいたとき、突然我に返り、混乱した。

ショックだった。

親のような大人にはならないと思っていたのに、
自分がそうなっていたことが、悔しくてならなかった。

でも私は将来の職業として学童を目指し始めていて、
このままではいけないと思った。
どうにかしないといけなかった。

そこで、私は怒る前に、
「してはいけない」とか「許せない」という気持ちの奥にあるものに
目を向けていった。

子どもの行為を私自身が許せない理由を辿ると、
見えてきたのは子どもの頃に親から叱られたときの「私の気持ち」だった。

きっと、私にも子供なりの自尊心というものがあったのに、
それを親から大切にされてこなかったことがつらかったのだ。

両親は、私が「できないこと」を、一方的に理詰めで指摘する。

私の言い分や理由は聞いてくれない。

「なぜできないのか」と言われても、
小さな子どもだから、
忘れてしまうこともあれば、
自分自身でも失敗したことは分かっているのに、
その原因がよく分からないこともある。

親から「できない理由」を問い詰められても、
上手く答えられなくて、
どうしていいのか分からなくなって、
泣いてしまうことが多かった。

そこに追い打ちをかけるかのように
「前にも言った」などと突き放すような言われ方をされてしまうと、
もはや親に対して「ごめんなさい」と謝るしかなかった。

親との話が終わっても、
一人でいる時間に「これからどうすればいいのだろう」
と途方にくれてしまうこともしばしばだった。

親から怒られたとき、まるで逃げ場がなく追い込まれていくような感覚は、目の前の親が敵でしかないと感じるような、苦しい体験だった。

子ども時代の私が、
親との関係で感じていた「怖かった」とか「苦しかった」とか、
「話を聞いてもらえなくて寂しい思いをした」とか、
そういう「寂しさ」という感情。

自分の気持ちを分かってもらえない子どものときの寂しさが怒りになり、
私の心の奥底でずっとくすぶっていたようだ。

親から決して許されることのなかった子どもの私が、
大人になった今もなお心の中で「寂しい」「悔しい」と怒るから、
私は目の前の子どもを怒ってしまう。
そういう流れがどうやらあったらしい、ということが分かってきた。

自分の状態がよく分かるようになると、机に乗る、
宿題をしたくないと言う、友達を叩く、そういった行動の中にある、
「なぜ?」に耳を傾ける余裕ができるようになった。

「私だったらどういう気持ちでそれをするだろう」とか
「そのとき大人からなんて言ってほしいだろう」などと
子どもの視点を追うことで、
私と子どもたちとの関係性は少しずつ変化していった。

「なぜ?」に耳を澄ませることは、
同時に自分自身の心の声を聴くことと同じだった。

子どものことを考えながら、
自分はなぜ注意したいのかを考えてもいる。
さらにどのような言い方をすれば、
その子が分かってくれそうかを想像する。

どのような言い方をしたいのかを、自分自身に聞いている。

だからなのだろうか。
子どもに「どうしてそういうことをしたの?」と
理由を尋ねることが多くなった。

子どもたちが喧嘩をしたときは
「何が嫌だったの?」とか「何を伝えたかったの?」と聞くこともあった。

注意をするときに、
「なぜいけないのか」を説明することが増えていった。

子どもの気持ちを確かめながら、
それに合う言い方を探すのが当たり前になっていったのだった。

それは
「子どもと自分はどのような関係を作っていきたいのか」
という関係性を考えるのと同じことで、
相手と自分に一体的に向き合う、不思議な過程だった。

ゆっくり子どもの話を聞いているとき、
なぜかふと泣きそうになる自分がいた。

そうか、と思う。私自身も子どもの頃、
大人からそのように話を聞いてもらいたかったのだ。

それは何か心の大きな許しや癒しのような、
私の内側が動くような体験だった。

私は子どもに寄り添うことを通して、
自分自身に寄り添っていたのだろう。

幼少の頃から言えなかった気持ち、
思いや、葛藤、寂しさや悲しみを、
子どもに重ね合わせて代弁することによって。
あるいは、子どものそうした言葉に、耳を澄ませて聞くことによって。

そういうとき、私は決まって、泣きそうになってしまう。

それはきっと「親にそう言ってほしかった」という、
私の子ども時代の悲しみや寂しさを改めて拾い上げる作業だったのだろう。私は今も、その過程の中にいるのかもしれない。

子どもの話に耳を傾けて、その子を理解することに努めているうちに、
子どもの状態像に心理/状況的な理解が加味されるようになる。

前の例で語った自閉症スペクトラムの子について言うのであれば、
皿を乱暴に片づけても「どうしたの? なんかあった?」
というように尋ねるようになっていた。

それでも「うるさい」と返ってくることはあったのだけれど、
「割れるかもしれないし、けがをするかもしれないから、気をつけて」
と添えるようになっていた。

言うことを聞いてくれることもあった。
時間はかかったけれど、
そういうことがやっとできるようになったのだった。

いつもはなんとなくしていた
一つ一つのやり取りを大切に意識的に積み重ねるようになって、
子どもたちとの「関係」ができていった。

人間関係は、自分の思いだけでは一方的に作ることはできない。
相手がいて、互いになんとなく分かってきて、
関係性が揺るぎないものであることを確信していくことで、
絆や信頼へと変わっていく。

他人を当たり前に信じて関わるということは、
そうした努力の積み重ねによってなり立つのだった。

4 過去回想:支援の歪みは成育歴から
https://note.mu/welfare/n/n0bebff4c9d0a


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