ヨイーン

ビートルズの譜面を見てコピーして演奏できたとしても、実際に曲を聴いたことがなければそれ以上良くはならない。
と、言えるだろうか?
例えばクラシックにおける作曲者と演奏者の関係は、ロックやポップスのそれとは根本的に違う。初見のショパンを演奏者の解釈で弾いたものが良くないと言い切れるだろうか。
確かに俺はパン屋のブリオッシュを食べたことがない。レシピを見て自作したものしか知らない。では果たしてそれはブリオッシュとは呼べないのだろうか。
呼べないとしても、美味しいかどうかは別問題。じゃあ、それでいいんじゃないだろうか。
近辺のパン屋10軒まわってブリオッシュと出会えなかった俺は、そんなことを考えている。
あと一軒だけ行って無かったらカレーパン買って帰ろう。

そんなことはどうでもよくて、
今日はお気に入りのお店に行ってきた。ご無沙汰してしまったが、やはり素晴らしい。近々営業を終えられると聞い慌てて行くような駄客だが暖かく迎え入れてもらえた。
ここへ来ると自分がいかに雑な仕事をしているか思い知らされる。
個性をまとめあげて調和させるための、優しく丁寧な仕事。人柄が見えるようだ。
基本的に、いくら自分より凄い人でも尊敬するということは少ないのだが、ここの人のことは尊敬している。
(※「尊敬する」とは、俺の中で「弟子になりたい」と同義だからそう思うことが少ないだけで、決して他者にリスペクトがないわけではない。念のため)

いつ食べても新鮮な発見があるし、丁寧であることや控えめであることの大切さが身に沁みる。飛び出るのもいいが、ちゃんと帰るべき場所に帰ってこないといけない。

仕事はまぁそれなりとしても、ベースと料理はこういうことをちゃんと意識していたい。
こうやってたまにそれを思い出させてくれる場所がひとつなくなってしまうのかと思うと寂しいが、時間が流れるというのはそういうことだ。ご飯は食べるとなくなるし、どんな良い曲も数分で終わる。むしろ味わっているときよりも余韻の方が大事なんだろうと思う。
お店の整理の一環で食器が大安売りされていたのでいくつか譲り受けてきた。
これで長い余韻を楽しもうと思う。
ひとまず、ご馳走様でした。

愉快な生活苦