地下鉄奇縁


 二月も半ばになろうとしているころ。駅の時計は午前十時十五分になっていた。善造は本を返しに大学に行くため自宅近くの駅から地下鉄に乗っていた。車両は三両目、ちょうど空いていた優先席があった。若いくせにあまり優先席にのるものでもないが、荷物がだいぶあって立ったまま半時いるのは貧弱な細身ではちときついものがあった。その優先席で読みかけの本を読んでいたが、向かい側の優先席をちらりと見れば、歳のころなら、六十五、六といったところであろうか、無地で淡い鼠色の羽織と袷という着物姿、帯は紺といでたちのご老体が薄いなにかを読んでいる。見ると、表紙には「常磐津」と大書してある。「ハァ、常磐津のお稽古だな」「太夫かなんかだろう」そう思った、善造の読んでいる本は『細雪』で、こちらも彼にはとんとわからない地唄の歌詞がちょうど出ていて、「声にだして読むにしても、どういう調子なのか」と難儀していたところであった。
 善造は義太夫がどんなものは一応わかるが、いくら聴いても、長唄、清元、常磐津の区別はトンとつかず、どっちが端唄で小唄かもわからないという邦楽音痴である。しかし、一応モノの本でこれらの名詞を把握はしている。どうせ聴いてもわからないが、バイト先の先輩で、邦楽史が専門でしかも端唄の師範の資格まで持っている大学院生の青島さんから歌舞伎における浄瑠璃の重要性を常々仕事終わりのお茶の席で耳に胼胝ができるくらい聞かされていることも影響してか、時折り懲りずに常磐津や清元のCDを借りて聴くことがあった。
そういうこともあって、どうもこのご老体が気になる。話しかけてみたいという衝動に駆られる。しかし、唐突に見知らぬ人に声をかけるのもいかがなものである。かけられるほうも困惑するだろう。「ハテサテ、どうしようか」逡巡している数秒間のうちに、折よくコロコロとご老体のもとから消しゴムが落ちて来た。「しめた!」と思うなり、すぐさま拾いあげて「落としましたよ」と持ち主に渡すと、向こうは柔和な笑顔で軽く「どうも」と返してくれた。もう大丈夫だろう。そう確信した善造は「常磐津ですか?」と尋ねてみた。ご老体は少しびっくりしたようだが、明るい表情で「ハイ」と答えた。
「お稽古ですか?」
「ええ」
 そう答えるなりその人は冊子の裏表紙を見せて、「これが私の名前なんです」とつづけた。そこには「常磐津」と「太夫」の間に何か二文字が書かれていたが、少し距離があったこともあってよく読めなかった。しかし、これで本職の常磐津の太夫なのはわかった。ちょうど善造の隣が空いたこともあって、この「太夫」がそこに席を移した。
「こんなお若いのに常磐津にご興味があるなんて。なにかそういうお勉強し    てるんですか?」
 柔らかい声音で太夫は尋ねてきた。
 「いえいえ、知り合いに詳しいひとがいるので。」
 「あら、そう」
 「いまだに不勉強で、常磐津と清元の区別もぜんぜんつかなくて。この前 聴いたお夏狂乱の『お夏の唄じゃ、お夏の唄じゃ』ってところが印象に残ったくらいで」
 「まあ、お夏とかご存知なの。清元は美声を聞かせるのが主ですけど、常磐津はセリフをはっきりと聞かせるところが違っていますね。いろんな人を演じ分けなきゃいけませんから、若い娘になったり、爺さんになったり、婆さんになったり」すかさず、善造は「黒主にもなったり」と付け足した。太夫は呆気にとられて、
「黒主もご存知なの」と感心していた。黒主の登場する舞踊劇があるのは例の先輩から教わっただけで、しかし、善造は実物を未だに見聞きしていない。
 話は尽きないが、乗り換えの駅に着いてしまった。名残惜しいが「じゃ、私はここで」で善造は失敬した。駅のホームを歩きながら、自分のほうが名乗らなかったことを少し悔やんだ。この縁がこれきりのものかこの先つづくものかその時の彼にはわからなかった。
 また、いつかの朝の地下鉄でお目にかかれるだろうか・・・・・。そんなことを考えながら、駅の階段を昇った。


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