不要不急な人生

「不要不急の外出は控えて下さい」―――コロナ騒ぎが始まって以来、うんざりする程聞くフレーズである。

この不要不急という言葉は好きではない。「あなたの用事は不要ですよね」というレッテルを勝手に貼る傲慢さを感じるからだ。そして厄介なことに、この言葉が使われるケースは殆どが命令文なので主語が無いことが多い。果たして誰にとって「不要不急」だと言っているのか?

かくいう私自身、Twitterアカウントの位置情報を「不要不急の最前線」と設定している。これは昨年に投稿されたはてな匿名ダイアリーの記事に触発されてパクり…もとい引用した言葉だ。(このnote自体がその記事のオマージュみたいなものである。)私の勤める旅行会社はおそらく現在社会的に不要不急とされている産業の最たるものであろうし、それを否定するつもりは無い。職業に貴賤は無いというが、仕事の本質はともかくとしてそれを必要としている人の多寡が厳然と存在していることは認めざるを得ない。

ただ社会的に不要不急であったとしても、私にとって旅行は必要であり緊急でありライフワークなのである。「不要不急の最前線」は、そんな自虐と皮肉を交えた意思表明として自分を奮い立たせる為に設定している。正直、いくら自己満足と割りきっていても自分の仕事が社会に必要とされていないという認識を持ちつつ働くのは辛い。しかしだからこそ自分の価値観だけは社会とかいう存在に侵食されたくない、そんな反抗心みたいなものが表れているのかもしれない。

そして今、皆が社会の不要不急はそのまま自分にも当てはまると思い込まされて苦しんでいるように見える。確かにあなたのやりたいことは社会にとって不要不急だろう。しかしあなた自身にとっては本当にそうなのか?スポーツファンにとってはおそらく一生に一度のオリンピック、アーティストのファンにとってはずっと思い出に残るであろうライブイベント、学生にとっては一生で今この時期にしかできない修学旅行や卒業旅行、それらは本当にあなたの人生において不要不急なのか?

社会の為に自分の欲を殺して我慢、素晴らしいことである。しかし皆がお行儀よく我慢に我慢を重ねたにも関わらず、皮肉にもコロナは収束せず感染者は増えるばかりだ。そしてその結果について残酷なまでに当の社会は何も補償してくれないのである。「自粛した時間を返せ?不要不急と判断したのはあなたの自己責任ですよね?」とばかりに。そればかりかまだ自粛が足りないと更なる人生の犠牲を強いてくる始末である。

今までコロナ騒動で青春を、人生を奪われ続けてきたあなたへ。あなたの人生は不要不急ですか?そろそろ、社会の為ではなく、自分の為に生きてみたらどうですか?と、「不要不急の最前線」から反逆の牙を剥きたい今日この頃である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?