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『占領下日記』コクトー

 環境を変えると検索ワードも変わるように、普段は見向きもしない本を読むようにもなります。コクトーには、じつはまったく興味がなかったけど、フランスでは未だ人気なんです。適当に抜粋してみます。秋山和夫訳

 映画や劇の制作話ばかりで、そこに資料的価値はあるのだろうけど、引用は「文学的」だったり、コクトーが考えていること中心。前提としては、1942年の占領下、フランスが混沌とした時代にあったこと、そしてコクトー自身も。


 いつもこう考えていた。いま日記を書いてなんになると。いくつもの生き方をしてきた。が、書きとめなどしなかった。なんでもない時にどうして書き始められるだろう? だが間違っていた。なんでもない時に、勝手に書き始めなければならないのだ。これ以上失ってはならない。…誤解を積み重ねさせたまま…p3

 不死身の春そのままに、隠れていた若者たちが新たなものを創り出し、仕事をし、思いをこらし、いま姿を現そうとしている。いつの時代も人々は「もう何もない」と嘆く。その時代のさまざまの脅威が見えたとしても、その脅威を生きはしない。またその脅威を生きている人々には、それら脅威が目に入らない。p16

 いつだったか、ガストン・ガリマールからいわれたことがあった。「本とは別のお話をしに来る作家は、あなただけです。」自分が例外的であるのを吹聴しようとこの話を記すのではない。こんなことが例外とされる異常さが問題なのだ。こうしたことを通じて、なぜぼくが解しがたい、複雑きわまる謎の人物と誤解されているかがわかってくる。ポーズをとらないと、きっと気違いか少々頭がおかしいように思われてしまうのだ。ポーズをとるより、何をするかわからない謎の人物と思われているほうが好みに合う。ポーズなど僕は絶対取りはしないだろう。p19

 レオンスが言う。「あなたは変わりませんね。」僕は答える。「ぼんやりし過ぎているからね。変われないさ。」・・・p31

 ピカソは言う。「何を描いてもかまわないのさ。理解してくれる(意味を見出してくれる)人間はいつだっているはずだから。」p31

 セルトがこんなことを言っているらしい。「どうして僕のことを書いた本はないのだろう?」ピカソはこう答えている。「金持ちなんだもの。自分についての本をどっさり書かせて、著者にお金を払ってやるべきじゃないのかね。」p32

 マネは言っていた。「フィガロがわたしの埋葬の記事を載せてくれれば、新聞にわたしの名前が読めるのだが。」p33

 グラン・ゾギュスタン街の町角には、無名の人々の記念プレートがある。ピカソはドーラの新しい住まいの前に着くとこう提案した。「ドーラ・マール この家にて倦怠のため没す。」p33

 ユンガーの言葉。「卑賤な心の内部で、美に対して燃えあがる憎悪ほど深遠なものはない。」

 ピカソ「仕事の手腕(メチエ)なんて習って身につくものじゃない。」p42

 シャネルに会いに行く。「ドレスはもうつくらないのよ」と彼女。「モードはつくったわ。でもいまはだれのためにつくればいいのかしら? もう仕事はしないの。だってドレスを着せてやれる女性がいないのだから。」p43

 ミシア・セルトと食事。・・・「ヴェルレーヌが四ページの四行詩を書いてくれたことがあったわ。どこかになくしてしまったけど。マラルメは、わたしの誕生日がくるといつもフォアグラのパテとソネットを贈ってくれたの。フォアグラは食べちゃったし、ソネットはなくしてしまった。それでいいの。物を大事にしたがる人は、何ももっていないの。浪費によってしか人は豊かにはなれないわけ。」・・・ルノワールが描いた彼女の肖像画。彼女はルノワールに会いに行き、お金が入用だと打ち明けて、あの肖像画を売りたいといった。するとルノワールは自分が書いた彼女の絵を何枚も持ち出してきて、「あれは売りなさい。それから個々から一枚もっておいで、みんなあなたのものだもの」と言ったのだ。p44

 ぼくは自分でも知らないうちに、自分の孤独を深め、誤解を積み重ねるようなことばかりしてきたのではないだろうか。”自分が分かった”詩人は死んでしまう。見えないままでいることが肝腎だ、そう思っている。僕の歩みを導いているのは、動物的な防衛本能だ。駆け引きできないからだ。ぼくの単純さ(ナイブテ)。子供と同じ。作品は自分で自分を守る。ぼくらに対しても。ぼくらの弱みにつけこみ、力を吸い取ってしまう。

 敵意を抱いた物腰で人前に出ることや、同情を買う覚悟をするのがつらいのは、十分承知だ。思い上がりは何の得にもならない。ぼくはいま公には間の悪い立場に追い込まれている。ぼく自身ではなく、人からこうだと思われているぼくと、ぼくが思っているぼくについて。これは変えられそうにない。ぼくはあるスタイルをとり始める。このスタイルが、すべての人々にとって――とりわけ、昨日まで熱烈に求めていてくれた若い人々にとって、ぼくが死んだ文章になるのは当然だ。だがぼくは堂々と、そして悠然とここに踏みとどまる決心をした。これが唯一のチャンス。唯一のカード。唯一の籤札なのだ。出された公的保障は過失と通告される、ぼくらは頭を下げ、過失を過失として認め、受け入れるべきだとぼくは明言しなかったか。悲しむべきことだが。p45

 ドラノワの映画『賭博の地獄』を観る。

 メトロで、年配のある婦人。「あっちじゃ食べさせないで、こっちじゃ眠らせないんだから!」

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