このいかがわしさ。

 来たばかりの頃、何もわからず、戸惑うばかりだったのは、きっとこの街のせいなのだ。もちろん誰だって、初めての経験には躓くものだ。それはどこに行ったって同じこと。

 それでも、ここには人を欺くものがある。なかに入ったら、どんなに身を固めていても囚われてしまう。そうしていつのまにか街に飲み込まれる。客観性なんてものは、きっとここに生きる人々が、足掻きに足掻いてやっと創りあげた幻想なのだ。

 そして、そういう人たちが創り変えてきたのがこの街なのだ。そういうことにして、話を始めてみよう。


 この街は隅々まで、見られるために造られている。公園や建築物の維持だけでなく、通りや広場の景観まで、すべて管理されているのだ。それは例えば法律によって、建築物の高さ制限から、通りに粗大ごみを出させないことまで細かく規定されている。逆に、そうした制度に収まらないものが、人々の目を引くことも往々にしてある。それはつまり、道端に散らばる塵や糞、ストリートアートといった、見る者に不快感や疑問を引き立てるものたちだ。

 こうして線引きするとわかりやすくもあるが、その線引きはあくまでそれを使う人の便宜上のものでしかない。歴史的に、それらは互いに境界を交えてきたからだ。なぜならここでは、すべての新興潮流が最終的に制度内へ取り込まれるようにできているのだ。

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