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『占領下日記』コクトー(つづき)

 先方の扉の前に着くと、小さな女の子が自転車から降りて、ぼくらにこう声をかけた。「通りをゆっくり降りてきてすいません。」驚いて黙っている。彼女はちょっと顔をしかめて付け加えた。「あなたたちに言ったのです。あなたたちに・・・」p85

 嵐。鍵を置き忘れていた。窓から入る。p93

 性急に読み飛ばし、ろくに読みもせず、ぼくのパラドクスを咎め立てする人がいることは百も承知だ。対比としての地位と英雄的ということを混同しない、これが常にぼくを駆り立ててやまない信条だ。・・・「私に災いあれ。私は微妙なニュアンスそのものなのだ」とニーチェは言っていた。そして、「羊でない私は何者にも従わない」とスタンダール。

 ぼくのケース。人はいつもこっそりぼくのところに相談に来るが、それを決して公に告白しはしない。p99

 ここで今ぼくが恐れていること。ぼくらの行動が判断される際の寛大さの欠如、エレガンスと軽妙さの欠如だ。そこにぼくは、自分と違うスタイルを考えられない人々が他人を判断する際に陥りがちな低劣の大いなる可能性の証拠を見る。ぼくの生き方を勝手に想像している人々が、ぼくの本当の生き方を示すものに触れたとしても、恥じ入るどころか、ますます憤激するに違いない。p100

 奇抜ものたち(アイコワヤーブル)。どこの組織の制服も着ていない若者たちを老婦人が追い回し、「ザズー」(ジャズ気違い)とわめきたてている。スウィング排斥の新聞キャンペーンの結果だ。スウィングは誰にも迷惑をかけない。それにぼくらの世界では、いつの時代でもそれぞれに奇抜ものたちは不可欠なのだ。メトロの混乱のなかのようなああした狂人たちの、秩序や良識への偏愛。p103

 フランスではすべてが浪費。中国では何ひとつ浪費されない。重慶や澳門では糞尿が商売にされている。フランス船からの汚穢は安く取引される。「紙が混じっているから」と中国人たちは船長に言っていた。海岸全体が、豪華船から海に投棄される汚物で生活している。鷗たちは飢え死にしかねない。p118

スタンダールが妹に宛てた手紙で、「私たちのような存在にとっての喜びとは、人から理解されず、社会にうごめく低劣な連中から忌み嫌われることなのだ。この主義のことを、どうかよく心に留めておいて欲しい。」と書いている。地上の人間スタンダールでさえ、この地上を住みにくいと考えていたのだ。p120

 だいぶ飲んだ。いろいろのイメージが頭をよぎる。現実のもの、夢のもの、もうよくわからない。恐らくすべてが夢、それがまるで現実のように・・・書きたいことのすべてがぼくから抜け出ていってしまう。帰りの電車のなかで、すべてを悟った。悪人になるには善良すぎる。そして善良であるには悪人過ぎるということ。p121

 スタンダールの書簡。読む人は、自分宛のように思え、返事を出したくなる。メリメはなんて鈍重で内容に乏しいことか。p128

 モンドールが、世紀を切除してしまった人が彼のところへ連れて来られた話をする。理由をたずねると、「馬鹿なことはもうたくさんだからだ」と答えたという。p129

 会ったこともないのに、「毎日ぼくのところにやって来ている」と称している人々のことを毎日聞かされる。この類の風説からは、どうやってこの身を守ればいいのか。p134

 D夫人の弟(自殺した)からの手紙。「神は穴のあいた手で御業を行われる。」

 ぼくの仕事にぼくが目覚めているときの、馬鹿馬鹿しいくらいのぼくの不器用。p142

 詩情(ポエジー)は流行になっている。詩にとって、これは外にありえない最悪の事態だ。いまや詩情のことしか語られていない。映画の詩情、亜パルとマンの詩情、衣装店の詩情などなど。「イマージュ・ド・フランス」誌のクリスマス特集号は詩情特集だ。p167

 流行はすべての基本だ。そしていまは詩が流行。嘆かわしい。人々が口にするのは詩しかない。だが果たしてどんな? ジャーナリストによれば、だからこそ『悪魔が夜来る』は当たったのだという。この戦争が不可能になるのは、この戦争が流行遅れになったときだ。帽子が大きすぎたり、小さすぎたりになったときなのだ。そのとき人々はいっせいに戦争から顔を背けるだろう。女性が前日まで麗々しく被っていた被り物を翌日には見向きもしなくなるように。その暁には、いかなる秩序も独裁も、なすすべがなくなる。そのときが近づいている。p172




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