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彼女のすべて   ボードレール 鈴木信太郎訳

彼女のすべて

悪魔が、屋根裏部屋に、今朝、オレを訪ねて来て、過失があったら懲らしめようと、オレに言った。

「知っておきたいことがある、あの女の魅力を作る美しいものの中でも、可愛らしいあの肉体を構成する 黒や薔薇色の品々の中でも、何が一番好い気持なのか。」

――いみじくも「嫌はれ者」にオレは答えた。

「あのひとにはあらゆるものが強烈に匂って 何かを特別に選び出すことができない。全体にわたしはうっとりしてしまうから、なにがわたしを魅惑しているかもわからない。

あのひとは曙のように 私の目を眩めかせ、また夜のようにわたしを慰める。その美しい全身を支配している諧調は 微妙の極致、わたしの分析は力が足らず、調子の豊かなその和音を楽譜に移す術もない。

おお、溶けて一つになったわたしの全ての感覚の神秘きわまる轉身よ。あの人の声が薫りをなすように あの人の息は音楽を奏でるのだ。」


いつもごきげん

「黒い裸の岩の上に、潮のように満ちて来るあなたの奇妙な悲しみは、何処から来るの」と貴女は訊いた。

――人間の心が恋の収穫を一度済ますと、生きるのが苦しみとなる。それは誰でも知っている一つの秘密、一向に不思議でもなく単純きわまる苦悩であって、陽気なあなたの歓喜のように、全ての人に鮮やかだ。

おお好奇な美しいひと、詮索などするのをやめて、貴女のお声がどれほど優しくあろうと黙っていてくれ。

黙っていてくれ、無智なひと、いつでも喜んでいる魂、子供っぽく笑う口よ、溌剌とした「生」よりも、「死」がなお一層われわれを微妙な絆でしばしば捉える。

放っておいてくれ、わたしの心が、虚妄に酔い痴れるままに、美しい夢さながらに貴女の美しい眼の中に沈むがままに、そしてあなたの睫毛の蔭で 長い間まどろむままに 放っておいてくれ。



※ 旧漢字または適時、仮名や現代語に変換/改行しています。

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