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一日、雨。めずらしい夜。en sourdine

 昼は断続的に、夜になってからは降り続けている。

 いわゆる屋根裏部屋に住んでいるので、トタンのような安物の庇にあたる雨つぶが、やわらかい音をたてて、せまい部屋を包んでいる。

 窓は、一日じゅう開け放している。ほんとうは管理人に閉めておくよう言われているのだけれど、シャワーを浴びると、壁一面に水滴がついてしまうような換気の悪さなのでしかたがない。

 いちおう、この小さな片開きの窓は南を向いている。窓から見えるのは、僕の部屋からコの字に曲がって向き合う部屋と、その上の使われなくなった煙突がいくつか。はるか下にはほとんど手入れされていない緑の中庭、その中庭の向こうに古いアパートがいくつか見える。あとは空。飛行機雲が日常的にあるのが特徴だ。鳩がよく飛んでいる。カラスはいない。鳩ばっかりだ。

 屋根裏部屋といっても、一般にその言葉がイメージさせる昔の趣はほとんど残っていない。現代では、ただの不自由で狭い部屋として、ぼくのような金の無い学生が家賃の安さから住むことが多いんだそうだ。昔は、女中のなかでも一番下っ端が、こういった寝るだけの部屋を当てられていたらしい。

 多くの伝統建築のアパートの玄関口は、日本人にとっては無駄に重厚な造りとしか思えない。そのドアから入って正面にある幅広い階段が、そのアパートの主人たちが使うものだった。女中や下働きの者は、階段の横にあるドアから奥へ入り、彼ら専用の狭い螺旋階段を使っていた。僕の部屋は、その階段を8階まで上り、細い枝分かれした通路を一番奥まで進んだところにある。

 せめてもの救いは、アパートが閑静な住宅街にあるということ。中庭に面しているので、車の音も聞こえない。最上階なのでほとんど虫も入ってこない。姿の見えない鳥の鳴き声が、午後の時間を緩めてくれる。

 いつも静かで落ち着いた部屋なのに、なぜ今夜は、こんなに雨がうれしいのだろう。

 ここの天気はとんでもない気分屋で、一日のうちに何度も降っては止んでを繰り返すこともめずらしくない。外の雨に気がつき、ふとまた顔を上げると青空が広がっているといった、まったく本音がつかめない人を相手に駆け引きするような頼りない気分にさせられるから、いちいち取り合わないようにすることに決めている。それで傘は一度も使っていない。

 朝夕はまだ寒さが残る。今年は暖冬だったらしい。こういう年は、春になっても寒さが続くんだ、と友人が言ったことを思い出す。


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