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パリの日本人② 散在する日本人

 中華街は大抵の大都市にありますが、この街には加えてアラブ(イスラム)系、アフリカ系、ポルトガル系などの様々な国のコミュニティがあります。中華街は、そのまま中国人がある程度固まって住み、生活も仕事もお互い関わりが強いことを教えます。イスラム系は仕事も回せるほど強い繋がりの宗教的共同体です(最近、貧乏な日本人がイスラム教に入って仕事をもらったらしいです)。この二大コミュニティより小さな各国のコミュニティも、やはりそれぞれ独自のネットワークを持っています。(今回の文末には、すべて「と、一面的に言える」と入れてください。)

 そして日本人はというと、なぜかバラバラなのです。

 もちろん、ゆるい小さなネットワークは無数にあります。しかし、比較的大きいものは、たとえばオペラ界隈を中心とする日本人経営者達、日本の大学経由の集まり、文化事業の集まりといったジャンルごとに(お互いの交流はあるものの)分かれており、何よりもそもそものつながりが弱いため、コミュニティと呼べるかといったら微妙です(新興宗教系やサークル等の集まりはここでは無視します)。

 それはフランス人からすると不思議なことらしく、同じ日本人なのだからお互いに協力したほうがなにかと都合が良いじゃないかと言います。では、なぜ日本人はコミュニティをもたないのか。

 Aさん曰く、日本人はお互い足を引っ張り合うから

 Bさん曰く、フランスが好きで来ているから日本人に興味ない

 Cさん曰く、日本に住めない(住みたくない)日本人がつるむわけない

 そしてぼくは、後出しジャンケンみたいですが、どれも正しいんじゃないかと思うのです。

 Bはたとえば、アーティストの卵、ワイン好きが高じてソムリエになった人は、日本人と積極的に絡む必要はありません。自分の仕事に打ち込むことが自分にとって最大の利益で、日本人とは日本語が恋しいために付き合うので、コミュニティにはあまり意味を見出せません。Cの日本社会が嫌いな日本人は、もちろん日本人コミュニティに入りません。海外在住でも、日本人が集まれば当然、その会話や作法は国内とあまり変わらないのです。

以下は類型的妄想の垂れ流しですのであしからず。―――――――――――

 じつは、Aが、最大の理由ではないかと思います。日本独特の「空気」は、日本人が集まった”場”に瞬間的に成立しますが、継続しません。確固とした日本人コミュニティがない以上、「世間」もまた存在しないため、日本的規範が成立しえず(全員が守るという信用が行き渡らず)、いつまでたっても狭い身内のなかで、お互い自分の陣地を守ることに精を出すことになります。

 もし日本人コミュニティがあっても、そこに参加する意義が育たないため、そのなかで協同して利益を生み出し配分するよりも、各人は短期的に自分の利益を得ることしか考えません。よって以前から長期的関係のないコミュニティは自然消滅するか、個々の関係性のなかで合体・分裂を繰り返すことになります。もちろん、商工会議所やジェトロなどの公的機関は別ですが。

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