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『ねむれ巴里』(金子光晴)から『The End』(初音ミク・渋谷慶一郎)まで――初めての方へ

 ここでは、パリの生活を、男目線で、独断的に、文化的・社会的なものを中心に、今後パリに来る人にとって実用的な情報も交えてレポートします。あるときはアーティスト気取り、あるときは社会学的フィールドワークを実践する学者気取りで、自由気ままにエッセイを書き連ねていくつもりです。

 初回なので、肩の力を抜いて、申し訳ないですけど、簡単な自己紹介を兼ねて話を始めたいと思います。

 これを書いている2014年4月28日現在、僕はパリに住み始めてまだたったの1年半だけど、有に100人を超える数の住人に会ったと思う。というのも、フランスで生きていくことを目標にして日本を発ったから、こっちで生活している人がどんなことを考えて、どんなことをして生活しているか、まず知りたかったから。

 で、僕自身は、結論からいうと、半年を経ずにフランスに永住する気はほとんど無くなったんだけど、その理由は多すぎて一言でまとめられないので今後、分散して書いていきます。先に言っておけば、夢見る乙女のパリ幻想が壊れたからではないんです。パリはむしろ、いまの日本と比べたらとても快適で自由なところだと思います。


 こちらへ来てよく聞く話があります。昔から日本人だけでなく世界中の人が多かれ少なかれもっている、フランスに対する理想的なイメージが、パリに来たことでそのイメージが壊されてしまうというものです(例:パリ症候群)。でも、戦前に、そんなイメージとは別世界のパリに住んだ詩人がいました。


 金子光晴は、端的にいえばバガボンドで、彼の放浪は“旅”ではなくて、むしろ“生きること”と同義とでもいったほうがいいようです。僕は、フランス思想や文学には親しんでも、フランスという国やパリという街には全く興味がなくて、こちらに来た当初に読んだ『ねむれ巴里』は、パリに住むうえでの入り口になってくれたのです。こういうと、既読の方から、どんな生活してんだよおまえ!って突っ込まれそうですが、金子光晴ほど無茶をしない貧乏生活をしている人は結構います。パリは、フリーターやニートのような呼称には馴染まない、昔気質のルンペンが住むには悪くないところなんです。

 そうはいいつつも、僕自身はニート気質のいまどきの若者でもあるので、底辺の生活のキツイ現実ばかりじゃ退屈してしまいます。オタク気質もあって、部屋にこもってネットで日本語を吸収して日ごろの憂さを晴らします。そして読書に飽いたら、気晴らしと実益を兼ねて、方々のイベントや集まりに参加して刺激を受けることがこの一年の主な活動だったといって良いかもしれません。

 そういった集まりに参加して、はじめは外国人と話すときの気軽さと緊張感の配分、価値観の重心の違い、全く異なる思考回路には正直戸惑いました。それに、若い人ほど日本の若者とそれほど変わらない考え方をしているということにも驚かされたし、逆に自分はフランス人にはなれないなあと身に染みて感じてしまうことも多々ありました。

 そうしているうちに、言葉の自由さもあって日本人との絡みも増えてきて、紹介に紹介を重ねてさまざまな人に会うのですが、これがまた見事に階層化された日本人コミュニティが見えてくるんですね。コミュニティといっても緩いつながりで散在しているだけで、共同体といえるほどのものかは微妙なんですが、それも追々書きます。

 そんな風にして生活して一年半、海外在住者の誰もが抱く日本との比較願望が、とうとう僕にも押し寄せてきて、書いておきたいという欲望に抗しきれなくなった、このnoteを始めたのはそういうきっかけもあります

 比較する→物事を相対的に考える、なんていうアホな言い方をするけど、哲学的な本が好きで慣れ親しんできたこの考え方も、暴力的に異国の現実に晒されると、相対という言葉がまったく違う意味になるんです。

 日本人特有の海外コンプレックスは、僕にもあった(けれどほとんど考えもしなかった)はずなのに、誰でも一度海外に住んでみたら自然になくなっていくようです。たとえば海外から評価されている日本人といっても、それはごく一部のコアな人々によってしか知られていないというのは、頭で考えてもわかることですが、体験として知ることで見えてくることも多いのです。

 たとえば、初音ミクのオペラ・コンサートですが、これは予想以上にバカバカしいものになりました(BLOGOSハフィントンポスト参照)。フランスの歴史ある会場で、こういったコンサートが行われるというのは、映画『ライフアクアティック』やアニメ『マクロスプラス』の世界そのままです。ボーカロイドにあまり理解のない人からはマンガの延長として捉えられることもあるようです(死をテーマにした今回の作品を手塚以来の記号的漫画表現の問題とすればそれほど遠くない疑問だけど)。

 一言で言うと、海外のもの(異なるリアル世界のもの)を受容・理解するというのは難しいというたったそれだけのことですが、これだけ誤解・誤読が簡単に進んでしまうというのは恐ろしい。何より、自分がこれまで受容してきたフランス文化なるものを土台から疑わなくてはならなくなったんです。

 そしてこの軌道修正は、僕にとってとてもうれしい事件だった。金子光晴の地べたを這いずるような生活と、初音ミクに限らない不死のイメージ現実のあいだに立って、それは身体のある旧来の世界とネット・サブカル文化といっても、日本とフランスでもいいのですが、そこらへんからはじめてみようと、いまは思っています(まとめる気がありません笑)。


 忘れていましたが、物価が高いため、少しでも学費を稼ごうとnoteを始めたので、少しでも応援していただけたら嬉しいです。投げ銭形式です。

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