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サービス① ~私の言うことを聞いて~

 どんなサービスに接するときにも、スマイルとアイコンタクトとハッキリした主張が求められます。それが、よりよいサービスを受けるために必要不可欠なんです。

 でも正直、めんどうですね笑 そこらのスーパーで買い物するのに、店員とわざわざ「ボンジュール」といって笑顔を交わし、目を合わせ、「袋ください」と言う作業を毎度やらされるのは、疲れます(袋はたいてい有料で、頼まないともらえません)。怠慢なぼくは、日本でのように、自分の世界にいながらにして、真顔でお金だけ払って店を出たいです笑 もちろん、なかには挨拶せずお金だけ払って店を出る人もいます。

 しかし、ここではサービスというものが、大げさな言い方になってしまいますが、人間と人間のあいだで成立するということを確認させられるんです。昭和の商店街の風景として、主婦が八百屋と話しながら買い物するというのがありますが、それはお互いが相手を人間として認めないことには成り立ちません。マルシェにいくと、パン屋、チーズ屋、魚屋と相談しながら買い物するおばさんを目にします。「~野菜500グラムお願い。違う、その隣の方にして。あ、~もちょうだい。これは他のと交換して。やっぱり要らないわ。」

 ときに、そうした要求をするおばさんは、日本人からすると自分勝手な客のようにも見えます。でも、そうやって店の人と関わることで話が進み、店の人もいろいろ教えてくれることがあります。「これ日本人は知らないだろう。うまいから試してみてよ。」「今これ割引中なんだけどさ、聞かないやつには教えてやらないんだ。」こういう実際に話してみないとわからないことはたくさんあります。

一歩前に出て、なにか聞いてみる、頼みごとをするのが、自分にとって得になる。それは行政サービスでも同じです。以下は最もよく聞く話の一つ。

 ある書類が届かないので役所に問い合わせたところ、あともう少し待てという。それでもう少し待つもののやはり来ないので直接出向く。すると明日送るからというのだが、来ないのがわかっているので、事情を説明して今この場で渡してくれと頼む。無理だといわれるが、食い下がってどうしても今日中に必要なんだと言い張る。するとようやく、わかった、ちょっと待っててくれといって奥の部屋からすでに出来上がった書類を持ってくる

 上の例は、サービス側の怠慢から起こることですが、レジのおばさんが携帯で話し始めたり、質問した店員によって説明が違うことなど珍しくありません(行政やインフラサービスの怠慢は、近年では大きな問題にもなっています)。こういうところにも、フランスはほんとに先進国なのかといった揶揄が向けられる一因があるようです。

 そもそもは、出発点からして、組織の中にいる個人でなく、個人が組織の中にいて、そのうえで物事が進むということなのかもしれません。ぼくはマルクス主義でも何でもありませんが、システムの上で生活しているということを、日本では直に感じる機会が少ない。庶民的な日常生活では、どこにいっても画一的なサービス、同じことを同じように話す人であふれている。そうすると、個人的な感覚でしかありませんが、レストランに行っても、「特定のこの人」と自分は話しているとは思いません。「そのレストランの店員」と話していると思っているのです。

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