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湯気のように立ち消える雑談、掴まえました・3

日曜を飛び越え、月曜居残り組です。

ではいよいよラストに。
週末をおかわりする気持ちでどうぞ・・・



「まるで、オセロのように」

わ:白の部分と黒の部分、ひとつの特性をどこから見るかで ほんとに物事って変わるからなぁ。自分の捉え方ひとつで見える世界も反転するし、ほんと自分次第だなって思う。
ソ:たしかになぁ・・・
わ:その転換を自分で強く体感したとき結構 衝撃あって、'こうも変わるか'って。
30年間で無意識に染み付いていた色眼鏡(世間体や常識など)の存在を認識して ‘あ、これ自分のものじゃない 他人のだ。外そう’って(笑)
テ:たしかにな~。でも結構そういうのに気付くって、なんか ひと苦労というか・・・
わ:気付かなくて全く支障ない人たちはいるんだけどね。その世界の中で適応できる人たちが、いまの世間のマイノリティだから(笑)
テ:なるほど・・・
わ:集団社会で適応できるように(特に日本では)教育システム自体が組まれているし、適応できないと苦労するって前提が根強くあるから集団に属すことが現代でも揺るがぬ王道であって・・・。そうすると自然と‘適応者’が優位になっていく構造というか。
別にそれが悪いとかではなく、'そうか・そうじゃないか'の二択だけでなく個人的にはもっと選択肢が色々あったらいいのにな~っていう。
それ(二択)だと善悪に縛られがちというか。その基準で判断すると他人だけでなく、もれなく自分をもその概念で裁いてしまってシンドいし周り敵ばかり増えるしね(笑) 過去の自分含め、それで苦しそうな人たくさん見てきたよ。
日本人の気質もあるだろうけど、従来の価値観で現行してる全体的な'世間の空気'を見渡せば いたるところに息苦しさが蔓延してるのを感じる。



「多様性からこぼれる存在」

テ:ぼくは多様性というものが広まっていくことにはとても歓迎してるんですが、反対に‘ちょっと怖いものがあるな’って。
わ:ふんふん。それは具体的に、どういうとこ?
テ:たとえば、LGBTQ+って言葉があるじゃないですか。あるいは最後のQ(クィア)の部分って‘くくれない人たち’みたいな
わ:ふ~~ん・・・ 初耳だったかも、そこは。
テ:要するに、多様性って言葉で「あなたはこういう個性なんだよね」って 人を形容する言葉がいっぱい次々とでてくる反面、どうしてもそこからあぶれてしまう人たちっていうのはどこまで経っても現れてしまう、というか。
わ:うんうんうんうん・・・・・・
テ:Qの部分を作るっていう・・・うーん、なんだろ。あんま上手くまとまんないな・・・(笑)
わ:余白、みたいな?
テ:そうそう。たとえば一昔前だったら「そんなもんは気のせいだよ」って言われるものが、現代だと「いや、君はストレスでこういう症状がでてるんだよ」って言われるようになってきたじゃないですか。
それもいいと思ってるんだけど、そういう名前が付く人がいる一方で やっぱり ‘くくりからあぶれる人は絶対に現れるんだ’っていうことを前提としないといけないんじゃないかと。「多様性 みんな違ってみんないいよね」って言ったときにも、その‘多様なもの’を理解できない奴もいるよっていう。
多様性だからって、ひとつひとつ その個性を名付けたり新たなくくりを作ってしまうだけのような‘多様性’になってしまったら怖いなと思って。
わ:たしかに。細分化してるだけだもんね(笑)
テ:そう。
わ:カテゴライズ(すること)にこだわってしまうと、異質としてあぶれてしまったときにどこにも所属がないからシンドいよね
テ:そうなんですよね。牧村(朝子)さんっていう、ぼくが好きなエッセイストで文筆家の人がいるんですけど
わ:あー! cakesにも連載してる人だね
テ:そうそう、その人の発言でちょっと衝撃的だったのが「日本においての いままで侮蔑の言葉としてのオカマだなんだっていう言葉が、いまのこの国では普段それが「このLGBTめ!」ていう類いに置き換わってしまっただけに見えるのがとても悲しい」みたいなことをツイッターかなんかで仰っていたことがあって。
‘くくりができたね 良かったね これで君たちは社会の一員だよ’とは、ならないなと。くくってしまうこと自体が、そうだな・・・ なんだろな
わ:新たな枠が出来てるんだろうね
テ:そうです そうです、出来ちゃってる。
わ:席が用意された安心感は社会の中にあるんだろうけど、さっき言った‘枠でくくって見ちゃう’みたいな、それでしか見れなくなっちゃうんだよね。
実はそれって、ちょうど先月(オンラインカウンセリングcotreeの)‘書くカウンセリング’をやったときに担当のカウンセラーさんからも おなじようなことを わたし言われてて。
「自分をなにかの名前でくくるというのは(※例/うつ病の診断やhsp気質という概念)そう決めようとしてしまうこと自体は簡単だけど 安易にくくり過ぎてしまうのは危険ですよ」って。
ソ:なんか、わかる・・・
わ:だから、若干通ずるな と思いながら、ずっと聞いてた。
カテゴリーに所属することで保護される部分もあるんだろうけど「わたしは○○だから」って 盾にしたり諦めの理由にしてしまったり・・・
ソ:正当な理由にがあるみたいになる。
わ:そうそう。枠って、そういう危険性はあるのかなって思うね




「ラベルで紹介し合う わたしたち」

テ:所詮、人間って社会的な生き物だからどんだけ‘枠なんて取り払うべきだ’って言ってみてもやっぱり、なんかしらのラベルを貼らないと認識できない生き物なんだろうなっていうのは思うんですけど
わ:そうだよね(笑) 矛盾してるんだけどラベルいっぱい付けてるのもんねぇ。自分が何者かのかってラベルありきで説明するしね
ソ:ラベル、(自分に)付いてるかなぁ・・・(笑)
一同、笑)
わ:なんかそれこそ、自分がどれだけラベルだらけか 自己紹介のとき客観的に認識できる気がする。
ソノホウさんも前に「自己紹介でどう自分を説明していいんだろって思うときがある」って話をしてた覚えがあるんだけど、どこに住んでいて・何歳で・普段こんな仕事していて、みたいな定型文って、それこそラベルコレクションだな~って(笑)
テ:たしかにそれがないと伝わらない情報でもあるんですけどねぇ
わ:そうそう、ひとつの尺度ではあるけど。
なんてのかな・・・ もうちょっとパーソナルな部分を最初から知れてったらいいんだけど、はじめましてのときはやっぱ入り口はそこになることが多いものなぁ。その情報で「じゃあ、こういう人なのかな」ってある程度のイメージは勝手に湧いてくるものだし
テ:あ~ 先入観になっちゃったりもしますね。
わ:見た目が派手な人が全員性格がキツイわけじゃない、みたいな(笑)
テ:ふふふ・・・
わ:特にこれ、婚活なんかしてたら否が応でも感じるようになってて・・・
(マッチングアプリは)人柄関係なくまずは条件でフィルタリングしてしまえるから、便利なぶん恐ろしいというか・・・。 この仕組み‘肩書きやステータスと恋愛すんのか?’と虚しささえ感じることはあった(笑)




「'名前'というリミッター」

ソ:ツイッター上でもhspだったり鬱とか発達障がいとかの言葉を使って、そういう自分について発信してる人もいると思うんですけど。
そういう「自分、発達障がいだからこういう苦労があって悩んじゃうんだよね」ってツイートを見てて、それはたしかに大変だろうなと思う一方で ‘発達障がいだから’ってとこに寄りかかっちゃって・・・
わ:一種のアイデンティティのようになっちゃうのかなぁ
ソ:うーん・・・ なんだろう。それもそれでいいんだけどね、全然。
病名とか ほんとは、さっきテラさんが言ってた‘細分化された名前たち’の中に 自分がどれに当て嵌るかっていうのは実はそんなに大事じゃない感じがしてて・・・。
お医者さんとかにそういう診断をもらって診断名が付くことでちょっとホッとするっていう感覚もわかるけど、一番大事なのはそこじゃなくて。ちょっと上手くまとまってないんだけど・・・
ある側面で お医者さんの目線で見たらそういう診断名が付く‘わたし’だけど、自分を説明するときにそれ(診断名)を使うこと以外で自分を説明したいというか・・・
テ:あ~ なるほどぉ。
ソ:そんな、そういう・・・ことが出来たらいいなぁ みたいな感覚もあって。言いたいことが・・・(言葉にならない)
わ:ふふふ・・・
ソ:なんか、わたしも病名は付いているけど大事なのは‘それがどういう病名か’っていうのじゃなくて‘そういう病名を持っている自分が日々どういうことを感じて こういう気付きがあって’ていう、そういうことが大事かなって。思うんですけど・・・
すいません、ちょっとわかんなくなってきちゃいました(笑)
一同、照れる様子を笑顔で見守るときが流れる)
ソ:すいません(笑)・・・そういう病名で自分を説明しようとしてる人に違和感・・・というか、ちょっとわたしは 違う感じがするなって思うことがあります。
わ:思考停止になっちゃうのかもね。なんか、そのフィルターで遮断してしまうというか。断定することで詰んでしまうというか
ソ:んー なんか自分の中に‘何かが出来る可能性’っていうのを、そういう力があったとしても その病気の人はそういうことが出来ないって前提で自分が思っちゃうと、出来ることも出来づらくなったりしそうだな、とかって・・・
わ:可能性を狭めちゃうのかな、自分で。
ソ:実際にほんとに、その通り(出来ないという現実)で・・・ なんかまた微妙になってきた・・・(笑)
一同、笑)
テ:でもその、あれですよね。そういう‘病気という名前を使う’という是非の話じゃなくて。
単純に言葉として強かったりとか、病気うんぬんとかじゃなくくても たとえばぼくが「いや実は海外で一年弱働いてまして~」って言うのと「コーヒーが好きで喫茶店やってます〜」っていうのでは どちらも事実ではあるけど全く伝わり方は違うし。
根本のところでいうと そもそも‘言葉ってのは人によって受け取り方って違うな’っていう話になってくると思うんだよね? カレー食べた話ひとつにしても それぞれに思い浮かべる‘カレーのイメージ’はチキンなのかキーマなのかバラバラであって、でも実は本人が言ってたのはカレーうどんのことだった なんて、そういうことってあると思うんですよね。
ソ:そっか そっか・・・
テ:だから結構その みんな共通の意味だと思っている・・・ まるで言葉ってさも気持ちが通じているような気になるけど。実はそうじゃなくって単語ひとつひとつの意味合いって個人のいままで過ごしてきた環境とか経験から、ちょっとずつみんなズレている、
ソ:違いますよね
テ:そう、そうなんです。絶対違うと思う。
だからその言葉によって受け取り方の違いのは当然だからこそ、自分の自己紹介でどのラベルを選ぶかっていうのは選ぶラベルによって予測してるよりも勘違いをされてしまうことはあるんだろうな、って思ったりもしますね。
わ:どう見せる(魅せる)か・・・。自分がどう見られたいか? んー それは違うな。
それよりも‘どういう自分でいたいか’からの逆算、みたいなとこはあるのかもな。
全:あーーー・・・
わ:でもな~ かけ離れすぎてもなぁ 現実と(笑)
テ:絶対100%伝わることはありえないじゃないですか、‘自分とはこういう人間である’ということは。まして言葉だけなら尚のこと。
わ:うんうん
テ:そうなったときに、いかにゆるやかな誤差のうちで済ますかっていう
ソ:‘ゆるやかな誤差’・・・(笑) いいですねぇ・・・




「ジブンへの期待、する?しない?」

わ:コミニュケーションってほんと、何歳になっても磨けるし終わりがないなって思う。別に磨く必要もないんだけどね、元から天性の才がある人もいるだろうし。
でもそこで昔は諦めてたけど ‘あ~ わたしは他人とうまくやっていけない人間なんだ’みたいな(笑) 
ソ:うんうん・・・ そういうのは凄いわかる・・・
わ:そういうサジを投げてることがあったけど、結構そこを‘伝える努力をしよう’というか、自分の感じていることを言語化する努力と、それを人に伝えるみる努力を 20代が終わる頃にやると決意した部分があって。
なんか、そしたらやっぱりインプットもアウトプットも少しずつ伸びてきている気はするから‘諦めなくてもいいんだ!’って
テ:あ~ そういう意味では、ぼくはわっかさんと真逆の発想で
わ:ほんとぉ! そうなんだ
テ:ぼく、自分が人と上手くコミニュケーション取れない人間だという前提でスタートしてて。
そもそもそうじゃないからそこに気持ちを割かないと自分の言いたいことは伝わらないだろうなと思うし、人間関係も相手に嫌な思いをさせてしまうんだろうな、っていう前提で。
結局やってること自体はわっかさんと近いんですけどスタートラインがめちゃくちゃ逆っていう、超後ろ向きなとこからの出発で(笑)
わ:アハハハハ!(大笑)
なるほどねぇ おもしろいな。辿ってきた経緯は違えど、わたしも(最初は)そうだったのかもな~
テ:だぶん、さっきのわっかさんの話でいくと‘期待をしない’という。
わ:自分に? 他人に?
テ:んー 他人にも・・・そうかもしれないけど、自分にあんまり過度な期待を寄せたくないというか。
わ:わたし、それ羨ましい~! ハハハ(笑) 自分の気付かないとこで、わりとわたしは無意識に(自分へ)期待し過ぎちゃってるとこがあるみたいやから・・・
テ:自分の場合はそれだからこそ 最低限のことからスタートしてる、ていう。そもそもの自覚を持って細々とつつましく日々を過ごしてるわけなんですけども
わ:真逆や~(笑) いいな~ 身の丈サイズで最小限数からはじめれる感じが! わたしなんかつい、最初からトップスビードで張り切っちゃうからなぁ、もう(笑)
テ:それはそれで、僕から見たら それこそとても魅力的なものだと思いますよ
わ:そうかな〜? 本人は ‘ハァ~ またやっちまった!’ってなってるけど(笑)
もうほんと、30年以上経ってもその癖が直らないんだ これが~ もうどうしようもないんだけどねぇ(笑) いや~ 隣の芝生は青い!




「波を、手なずける」

わ:前回に‘うねり’の話をしたんだけど。
テ:どんな話でしたっけ?
わ:今まで自分の人生 アップダウンが激しめで、乱高下する波にとても振り回されてきたのね。
だから段々 その振れ幅をなるべく平坦に平坦に・・・ って目指すようになったんだけど。
それがまた一歩先へ変化して、いまは バイオリズムというか、その揺らぎのようなものを '波があるのが当たり前なんだ それが自然なことだし止めようとしなくていいんだ’って捉えてて。
揺らぎ丸ごと逆らわず受け入れて、今度は波を掴んで乗ってくイメージに改めてみたら 必ずしも(アップダウン自体が)悪じゃないと思えて腑に落ちた みたいな話。
そう転換したら、あらゆる現象にも共通点のようなものが見えてきて。自然の摂理って大体のことが人間にも通ずるな~と、大枠で見て人間もその一部なんだなって感じる。
テ:サーフィンをすると 自然の‘波に乗る’そのまんまじゃないですか。人生で一回だけ(サーフィンを)やってみたときに、・・・わたしも海外でサーフィンをやったことがあるんですよ!ソノホウさん!!(笑)
ソ:ふふふ(笑)
わ:あ~ インドでやったんだ!
全:いや、インドネシアで(両方からきっぱりしたツッコミが入る)
一同、笑)
わ:いや~ これ、いっつも間違える(笑)
テ:そのときに現地のインストラクターさんから教わったんですけど、波が来るのをボードの上で待ってるときに「目をつむって・・・波を感じて・・・身を委ねて・・・」って後ろから片言の日本語で言ってくれるわけですよ(笑)
一同、笑)
テ: めっちゃおもしろいんですけど、その片言の日本語通りに身を委ねていくと自然との一体感も得られて、尚且つ波に乗るときに 変な力が入れると全然乗れないの。
わ:ふんふん。力んでるんだね・・・
テ:力を抜いて波に合わせて自分のカラダを合わすことで、はじめて波に乗れるっていう。文字通り‘自然に身を委ねてる’って感覚じゃないですか
わ:これぞ字の通りの‘自然体’だね(笑)
て:この状態って、ほかでほぼないし。身をもって体験しましたね
わ:いいな~ いつかやってみよう~
あ。いま思い出したんだけど、なんか大きい変化がある前ほど 予兆として自分の中にある'うねり'が強くなるような気がしていて。地震の前の予兆みたいに。それでこの話をしたのかもしんない。
だから「モヤモヤすることとか 何かを手放すことってそれは決して悪いことじゃない」って言われてストンと肚落ちしたとこがあって。
ソノホウさんの周りにいる(近くにあるおもしろい)ゲストハウス界隈の人たちも‘感覚に身を委ねてる’って、この前たしか話してくれてたもの この(会話の)流れに繋がってたのかも。
ソ:そうですね・・・ わたしから見たらそう見えるっていうだけかもしれないけど。その人たちからしたら、わたしの知らないところでめっちゃ考えてるのかもしれない(笑)
なんかでもそういう人たちの雰囲気と、わたしが精神科のデイケアで出会う人たちの雰囲気って凄い違っていて。
その、どっちの人とも関わりがあるっていうのが わたしにとっては不思議でおもしろいな と思っていて。なんか、それはセカアカもそうなんですけどね。
精神的なところで行き詰まって悩んでてっていう人たちと関わっている自分もいるし、セカアカみたいなところに通ってる自分もいるし、ゲストハウスみたいなとこに行っている自分もいるし。
精神的に悩んでる人たちと関わってる時期が自分は長かったから、結構ゲストハウスの人たちって凄い新鮮だったんです。
それでどちらからも影響を受けつつ、気付いたこととか日々あるので自分に生かしていけたらいいなって。・・・で、何が言いたかったんだっけ(笑)
わ:ハハハ(笑)わたしもよく途中で話したかった会話のオチを忘れるよ~
ソ:あ! そうだ。それでなんかゲストハウスの人たちに感化されて、自分もあえて考え過ぎないように感覚で動いてみようって ちょっと真似してみて、それで楽しい体験とか良かったこともあったんですけど気付いたら自分が少し不安定になってて・・・
それで感覚で動く部分と 考えて動く部分と、'健やかに進めるバランス'が人によって違うんだなって話を、この前したような気がします。
わ:うん、したした!「バランスあるよね」って言った気がする。
ソ:・・・なんか、わっかさん、めっちゃ保健室の先生みたい・・・(笑)
一同、笑)
わ:‘わかるわ~’と思いながら聞いてた(笑)
自分の中のバイオリズムみたいな部分を感じ取ってるのかな?って思ったり。
バランスが崩れたときほど‘ここじゃなかったんだ’ていうキャパがわかるというか。ここは心地いいとこと違う・これ以上進むとマズい って・・・。それを知れるのが行き過ぎたり落ち過ぎたりする機会で。
上がってしまえば今度落ちるし、でも延々落ちることもなくて、今度は底付いたらやっぱ上がるし。上がることが特別良いとか、反対に、落ちることが特別悪いっていうより 両方あって成立する ‘ただのバイオリズム(自然現象)なんだな’ と。
あ~ それがフツーなんだ~って思ったら、自分の中で‘普通’が新たに塗り変わって 調子が掴みやすくなった。
女の人は出産や月のものが影響されるほどカラダが自然界の満ち引きと連動しやすいところがあるって聞くし、本来は体内に自然を感じやすいものなんだろうね

おや。もうこんな時間・・・(1.5h経ち深夜0時に)
そろそろ良いお時間だね、ではそろそろこの辺でお開きにしましょうか~
きょうは楽しいお時間をありがとうございました。皆さん、良い月曜日を~!




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今後も随時 雑談のご用命、承り〼。
では、またどこかでお会いしましょう!

わっか

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