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湯気のように立ち消える雑談、掴まえました・2


「心配よりも、わたしが欲しかったもの」

わ:期待って、心配とセットになってるような気がするんだよなぁ・・・
わたしは親から やりたいことに対して否定とまではいかなくとも「そんなことよりこっち(親基準の安定した道)にしときなよ」みたいな、ずっとそんな調子だったから。
プラス わりと心配性で、なにかにつけて まず「心配だ 心配だ」って言われて育ってきたから、それを受け続けた結果 そこから自分が何を感じ取ったかというと ‘わたしはできると見込まれてないんだな・・・’って。
その影響から自分を無意識に ‘能力がない人間なんだ’と見積もってしまってた節があって。ほんとは「あなたならできるよ」って言って欲しかったんだな、と、自分がこの言葉を掛けられたかったことに大人になってから気付いて。
だから、自分はどういう親になりたいだろって考えたときに ‘自分の子にはそういう風に接そう’って心に誓った(笑)
全:ほぉ~ なるほど・・・
わ:心配じゃなくて期待、ともまた違うけど・・・
信じてあげようと思って。そう、親に信じて欲しかった! うん、そこだね。 過度の期待は重圧になるし心配は重苦しいから、そうじゃなく(能力や可能性を)信じて欲しかった。
いつどこにも寄る辺のない不安感が強くて、他人と信頼関係を築いたり、(恋愛では)‘無条件で信じる’っていう感覚が自分のものになるまでに、ほんとに時間が掛かった。
これ、わたしにとっては結構切なる発見で・・・。
ここにようやく気が付いたとき長年蓄積した悲しみが溶けるような感覚があったんだよねぇ・・・ ‘あぁこれが わたしがずっと求め止まなかった愛情のカタチなのか’って。
テ:それは、気付いた出来事みたいなのは何かあったんですか?
わ:きっかけ・・・何だろうな・・・  幼少期から親に掛けられてきた言動で何がそんな未だに引っかかってるんかな?っていうのを掘り起こしたときに、やりたいことに対してことごとく反対されてきた っていうのが大きくて。
いままで人生の節目で何度か大きく変わろうとしたときに親はそっち(の道)はやめとけ と、それって裏返したら‘自分から離れてくれるな’ってメッセージが隠れてた・・・母は単純に寂しかったんだと思う。
でも呪縛から解かれたかった自分にしたら、それが凄く重かったの。このままだと泥(共依存)に足を取られてぬるく潰れてくような気がして 変わらないでいることのほうが正直とても恐ろしかった。当時はとにかく、あの閉塞感から脱したかったんだと思う。
じゃあ、ヒドく傷付いた場面でほんとのとこ自分はどうしてもらいたかったんだ? って見つめ直したときに‘そこ’(信頼)だったと。
だから 何か大ごとから受けた影響でいきなり「わかった!」というより、どちらかといえば それ(大ごと)はただのトリガーで、その時点からの地道な問い掛けを繰り返した末に辿りついたってほうが正確かな。




「婚活のウラばなし ~(わっかの場合)~」

わ:あの・・・。幡野さん・・・ 幡野さん・・・
ソ:あぁ、「幡野広志」さん?
わ:そうそう! cakesの連載(人生相談)で有名になってる、写真家の。あの方の『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』って本があって、その内容にある感覚 わたし凄く共感できて。
親からの愛情が残念ながら自分が求めてたのと違って それはもう得られないと知ってしまっても、自分が作ろう じゃないけど、せめて、あの頃 そばにいて欲しかったような親にはなろう、って。
じゃあ、そのときに理想が何なのかわかんないと ただやみくもに‘こうならないように’だけ思ってもどこかピースが足りない気がして 更に掘っていたのはあるかな。
テ:ん~ なるほどぉ・・・
わ:なんか、婚活とかも結構そういう感じにしていった(笑)
一同、笑)
わ:過去の失敗 ひたすら全部ほじくり返したりとかして ‘何が原因だったんだろう’の改善ばっかストイックに目をやるんじゃなくて、‘じゃあ わたしの理想(のパートナー観)って一体何なんだ’って、譲れないところも同時に探っていくほうへ途中からシフトチェンジしてったんだよね。
ソ:そっかぁ。 ‘ほんとはどうしたい?’って、自分の願いのほうにフォーカスするってことですね
わ:そうそう、わたしは前者(改善)のほうに比重が偏ってて、わりと後者は手薄というか そっちが疎かになってた。だから ‘望む関係性’の解析度が甘かったんだなって。だから(改善だけをしてく延長上の)行き先が暗くしか思えてなかった、まぁ 当然だよね(笑)
そうして、そのやり方(改善+理想の言語化)を続けていってたら2,3年単位でちょっとずつ現実が変わってきた感じはするな~と。徐々に、自分が望む方向に足先が向いてきた というか、取捨選択を繰り返してきたことの結果に 偶発ではない手応えがやっと得られてきた。
そういう種の手応えがあるときって、目下の興味を黙々と掘り進めていってると自分が予測外の場所に‘次の一手’が用意されてることが多くて・・・ いま‘福祉’や‘海外’っていうキーが自分の身の回りに縁してるってことは 数年前には想像すらしてなかったから。 予想外で毎度 ‘え? そっち?’ってなる(笑)
でもそれが、理屈っぽい表面じゃなく 自分の奥の奥のほうまでを掘り進めたからこそ、自分の人生で突き当たることになったものなんだろうなって。
(自分の)軸は作りながらも理屈ではないマグマのようなうねり(変化衝動)は受け入れて 大きな流れには身を委ねるというか。そこで流れてきたものや流れ着いた場所をおもしろがってみてる能力は付いてきた気がする。
たまに 我が人生ながら「この変化 他人ごとみたいだ~」なんてノンキに不思議がって、俯瞰してたら可笑しくなんだけどね(笑)




「自分の勘が‘ここだ’と言っているんです。」

ソ:なんか、自分の本音とかを深堀して 自分で(そこに)気付いたりしたいって欲求が凄いあるんですけど。なぜそう思うかっていうと、それをしないと行き詰まってもう進めない感覚が強くあるからで・・・
で、そんなことをこないだ遊びにきてた友人にしたときに「自分の本音がよくわかんないから もっと理解できるようになりたい」って話をしたら、「いやでも そういうのが大事だって聞くけど、それに気付かなくても楽しく生きれるんだったら別にそれでいいよね」みたいなことを返されてしまって、「あ・・・そっか・・・まぁそうだけど・・・」って(笑)
(その友人は)そんなことをしなくても それなりに楽しく生きていけてるからそういう発言になるのかな、と思って。 わたしは自分がもうそこを掘らないと行き詰まってる感じが凄くするから掘らざるを得ない状況というか・・・(笑) だから‘深掘りする・しない’っていうのも 人それぞれだな~って。
でも深掘ていったほうが おもしろいんじゃないかなっていうのは、思うんですけどね。
わ:なんか・・・ 感覚の部分で‘そこ’は感じてるんだろうね。なんていうんか「ここに宝がある!」ってのは、わかってんだろうね(笑)
一同、笑)
テ:‘ここ掘れワンワン’的な(笑)
わ:そう! 「なぜと聞かれても、わたしの勘がそう言ってるんです!」みたいな(笑)
それこそ、こないだ(平田はる香さんを迎えた回のセカアカ授業)の質疑応答でわたしがした「考え過ぎって言われることが昔からストレスなんです」て質問の冒頭も、少し似てて。
「何もそんな面倒くさいこと(深い考え)しなくたっていいのに」と言われても、それが生まれ持った特性でもあるから消せないし そんな反応を周りから受けるたび無駄に傷付くしで・・・
そういう負の思考ループに自分でも嫌気が差してあえて考えないように過ごした時期も幾度となくあったんだけど、結局 問題を先送りにしただけで そこを抜け出すためには(この方法では)根本のとこで何も解決してないのが明白だし、これじゃただの‘思考停止’だという結論に至って。
ソ:なんかやっぱり、それではどうしても行き詰まっちゃうから・・・。
わ:そうなんだよね。わたしの場合 じゃあどうしたのかっていうと、そこ(思考)を止めるのは難しいから、そのパワー自体を否定するより、健全な(頭の)使い方を覚えて生かせるようになればいいだけなんじゃないか?って、あるときハッと気付いて。個人的には '右脳と左脳をバランスよく使って回す' ことで鍛えてた、筋トレに近いイメージ。
そうやって、そこ(特性)を捉える視点ごとクルッと切り替えたんだよね。それでオセロの黒が白にひっくり返ったから必要以上に苛まれなくなった。




「ふたりの間を繋ぐ、共通言語」

ソ:そういう部分の、行き詰まりを感じた者同士の会話って意味で テラさんが(気になったワードとして)挙げてくれた‘二人のあいだ(ソ,わ)に共通言語がある’っていうのは、ここだったんですよね。
テ:あー そうだったのか。
ソ:そういう経験を共有してる者同士だと話せることがあるよねっていう感じで、こないだ言ったんだと思います。そんな(きっとテラさんの推測より)大それたことじゃないんですが・・・(笑)
わ:やっぱ経験者の実体験を通してでしか、息を吸うように(自然と)わかり得ない「あ~ そうそう わかる。ついそうなっちゃうんだよね・・・」って、流れを察する‘わかりみ’みたいな(笑)そういうことは確実にあるよね。
そうじゃない人からしたら「へ? なんでそんなことになっちゃうの?」って感覚でしかなくて理解しがたいとこがあると思うんだけど、そちらの側からしてみればその発言もほんとに悪気なく、単純に感受性の違い(度合い差)というか。
テ:‘感受性の違い’かぁ・・・。
わ:強弱で推し量ると‘良い悪い’の基準になりそうでヤなんだけど・・・まぁそこはそれぞれ生まれ持ってきた特性の違いなだけの気がする
全:うーーん・・・
わ:なんか、鈍感に生きていける人たちが羨ましい!って思ったりするときもあるけど、・・・
テ:いや~ でも‘鈍感’って言っちゃうとまた語弊がありません?(笑)
わ:そうそう、そうなの! なんか・・・ ちょっとね、若干の嫌味は含んじゃってんだけど(笑)
一同、笑)
わ:たぶんそれって正直なところ、こちら側にもその言動に反応してしまう因子がどこかにあるから傷付くんだと自覚はしてるんだよね。
それでも過去そういう人たちの言葉によって付いた傷もきっとまだ完全には癒されていなくて、そのまま微かに残された毒(記憶の痛み)を未だに取り除きそこねてるから つい言葉に‘なんとなく嫌なニュアンス’が紛れ込んじゃうんじゃないかなって、自分では思うんだけど。
(※ちなみに。悪意を持って安全な位置から故意のダメージを与えんとするパワハラ気味な場合と、俗に言うkyのような 身勝手な言動で周りを不用意に刺激してしまう利己が強い場合とがありますが、この話では後者を指しています
わ:でも(感受性の件)一概に‘良い悪い’でくくれるものじゃないことは、冷静には理解してて。
その上で、自分は感受性が強いから受け取る刺激の強さに苦労すること勿論あるけど、それでも些細なよろこびを最大化して味わえる面にフォーカスしていこうって。この特性と そう付き合うようにしてみてる。まぁ100%そっち面だけあやかる、とはいかないから落ち込みも人一倍なんだけどね!(笑)
一同、笑)
わ:感情の振れ幅が忙しいのよ・・・(笑)





さて、
雑談もいよいよ佳境に差し掛かり・・・


どうも 本パートは
全体的にわっかの喋りが過ぎましたねぇ。
独壇場、失礼しております。

果たしてあと少し、
最後の一滴を まだ 振り絞れるのか・・・ わたしよ。

お時間が許す限り ラスト一部へとつづきます。


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