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「市井( )の人」。
教室での出来事、ということは辛うじて思い出せる、古い記憶。
プリントに「市井の人」とあって、なんて読みますか、と問われて、イチイノヒト、と答えてしまった、ことも、思い出せます。
し‐せい【市井】
《古く、中国で、井戸のある所に人が多く集まり、市が立ったところから》人が多く集まり住む所。まち。ちまた。(小学館・デジタル大辞泉より引用)
イチイ、ではありません。
失敗した場面というのはなぜか頭に残りやすいものですが、そのなかでも、この些細な読み間違いが印象に残っています。苦しい記憶が残ったというより、失敗の中ではむしろ明るい印象があって、覚えていられたのです。全く明るいエピソードではないのに。
人が多く集まり住んでいる街は、苦手です。
大通りをバスがゆくときの大きな音、電車がホームに滑り込むときの音、混んだ車内、アナウンス、元気が良すぎる子ども、怠そうな学生、社会人、様々な音がありすぎて押し潰されそうになります。それなのに、やっとの思いで静かな家に帰り、静かな音楽を聴きながら、ふと思うのです。
自分は街が好きだ、と
街があって、人がいて、その人にそれぞれの暮らしがある、ということが、いつも私を惹きつけます。だから生きていくことができます。「市井」という言葉をしっかりと覚えていたのも、街が好きだったからでしょう。
だから、街にいる人の曲を作りたい、街で誰からも見つけられない誰かの物語を作れればいいな、などと、いつも考えていました。そして、冒頭の問い、市井のあとの括弧に「ヒロノ」と書いて、ハープと共に曲を発信することをはじめたのでした。これからも、よろしくお願いいたします。
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