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2019_03_知らない

Hirono Ichii
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1995年の阪神淡路大震災の話は、親から何度も聞いた。真剣に聞いても、震災当時はまだ生まれていないので映像が浮かばない、浮かんでもどこか現実味がない。素直にそう言うと、驚かれる。

 「そうか、もう知らない世代か。」

 経験したことのない揺れ、家のブラウン管テレビがテレビ台から落ちたこと、友人にかけた安否確認の電話が繋がらなかったこと、次の揺れが来たら逃げると覚悟を決めたこと。映像や言葉で知った私と、実際の関西の時間を生きていた親、ふたつの”知っている”の中身は違う。

 2011年の今日、震災と同じ時間を生きた。穏やかな一日なのに体調が悪くて学校に行けなくて、苦しくてテレビをつけたら、津波に飲み込まれる空港が目に飛び込んできたのをはっきりと記憶している。生きていく苦しみは生きている実感に塗りつぶされて消えた。

 小学生と関わる機会がしばしばある。6歳とか7歳の子がいて、そうか、もう東日本大震災を知らない世代か、と、同じことを思う。
 あれから8年と繰り返す報道の奥に、同じ時間を生きた人間だけが知っていること、そして、その場所で生きた人間だけが知っていることがある。言葉や映像では伝えきれない生々しい記憶や体験があるのだろうと思う。

 知らなくても、想像できる。想像できる人でありたい。

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