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「努力」の定義

ふと嫁に言ったんだ、「俺いま努力してるけどさ、…」って。
何の話かはここでは枝葉なのでどうでもいいんだけど、簡単にいうとスパルタンレースに出るためにトレーニングを開始し継続していることを指している。 ※参考 

で、何が気にかかったのかというと、今まで生きてきた中であまり努力した記憶がない自分が、ふと「努力している」と言い切った事。

息子には「時間を大事に」って説教するだけあって、僕は僕の時間を大事にすべきと思ってる(実践できている自覚はない)。
朝6時台に起きて、家事を手伝い、娘の受験勉強を共にやり、日課のランをこなし、洗濯機が壊れているのでコインランドリーに駆け込み、昼頃仕事初めて4時には終えて、間に真剣に昼寝するし、漫画喫茶に行けば読みたいものを読み、暇な時間があれば一生懸命経済回すためしっかりスロットで負け、よるNHKのオリンピックダイジェストを見て一喜一憂している。0時を回れば漫画アプリが更新されるのでそれをチェックしてから就寝する。
とても忙しい。

何が言いたいのかというと、「忙しい」や「やるべきこと」や「やりたいこと」は自分にとって当たり前のことなので、「努力している」や「がんばっている」には当たらない。そして若いころからずっとそうやって生きてきたのであろう、「努力した」っていう記憶が希薄で見当たらない。

では何が「努力」なのだろう。
なぜ僕は「努力している」なんて言ったのだろう。
っていう話しを嫁にした。
「俺さっき努力してるって言ったけど。努力って何?」って

で、結論「やりたくないことを何かしらの理由をつけてやること」これが努力である。
何かしらの理由とは
1.期限がきまってるのでそこまではやろう的なやつ
2.周りの人間に迷惑かけるわけにはいかないのでやろう的なやつ
3.近しい関係の人間が期待しているからやろう的なやつ
ここら辺があげられるけど、上記の定義にあてはまらないようにすれば
努力は努力ではなくなり、当たり前のことになる。

1.期限がきまってるのでそこまではやろう的なやつ
 →納期守らなきゃいけないけど仕事だし、当たり前だよねー
2.周りの人間に迷惑かけるわけにはいかないのでやろう的なやつ
 →みんなで一緒に取り組むんだから楽しいよねー
3.近しい関係の人間が期待しているからやろう的なやつ
 →期待されるの嬉しいハッピーだぜー

って感じ。おそらく僕はいままでこういう考え方をしてるんだなと認識することができた。
例えば上記記載の「日課のラン」これって嫌な人けっこういそう。ダイエット目的ならば努力の一環になると容易に想像がつく。
僕はダイエットもしてるけど日課のランは「一人で深く考える時間としてランしている」具体的にはその日の仕事の段取りや、ちょっと面倒な課題の解決方法の模索や見え方、切り方、見せ方、受け手のバリエーションを増やしたシミュレーションなどいろいろ考えている。だからランは仕事の時間。当たり前のこと。なので努力ではない。

ちなみに月100km走ってるけど一向に走力は上がらないし、ダイエット効果も薄い。

で、嫁との会話の続き「努力しているぜっていう人」と、「努力とは思ってなくてやる事やってる人」、どっちが精神衛生はいいのだろうか?
嫁の回答「ときどき努力したらいいんじゃん」
きっと会話を終わらせたかったんだろう的な面倒なニュアンスで回答してくれたのだけれども、確かにそうだなーと思った。
努力している認識が無さすぎると(おれのこと)世間に対してどこか申し訳ない気持ちがあったりする。とはいえ、俺努力しているぜー、私忙しいのー的なアピールくんみるとうざい。
なので、時々期限決めていつもにプラスオンした努力が気持ち良さげ
って思ったので、しばらく僕は努力することにする。

何が言いたいのかというと、「俺今すげー努力しているんだぜ!」ってこと


補足:努力(Wikipedia)
努力(どりょく)とは、目標を実現するために、心や身体を使ってつとめること
努力とは、目標を掲げ、そこに到達するために邁進することである。
だそうです。

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