チームの企画は続いていく

言葉の企画2020 第4回「チームの企画」でチームになった私たち。
初顔合わせの日のことは、今でもよく覚えています。
年齢も、住んでいる場所も、職業も、興味のあることも、みんなバラバラ。

でも、話し合う中で5人に共通した思いがありました。
「総選挙で選ばれた数人だけじゃなく、企画生全員の企画意図が知りたい。」
「きっと最終日もオンライン参加になる人がいて、企画生全員が集まるのは無理だろうな。でも、この繋がりが12月12日で終わっちゃったら寂しいよね。」

この共通の「2つの思い」をもとに企画を立てよう。
そう決めて、話し合いを重ね、私たちが出した企画は「言葉の企画2020の年鑑をつくる」。
企画生100人の大切な企画の、その意図を深く知り、さらにそこから学びたい。
そして、この年鑑が、12月12日を超えた後も、企画生を繋ぎ、壁にぶつかったときに立ち戻る場所であってほしい。
その2つの企てが入った企画でした。

そして迎えた、第4回「チームの企画」の講義の日。
私たちは、みんな講義中、顔を上げられませんでした。
自分たちの企画がまだまだ甘かったこともありますが、講師である林さんの言葉に、私たちの見ようとしていなかった心を突かれたからです。

私たちが企画を立て始めたとほぼ同時に、他の企画生の自主企画が動き始め、企画生の企画意図を聞くことができるようになったこと。
他チームの企画により、年鑑のように企画生の企画を集めたものができそうなことと、12月12日以降にもつながっていくことができそうなこと。
そして、そのような嬉しい環境の変化の中で、私たち自身が、「自分たちの企画にワクワクできなくなってしまった」こと。

焦りました。話し合うのも苦しかった。
「自分たちがワクワクできないにもかかわらず、無理に年鑑をつくるのは、違う。」
「他に何か、企画を立てようか。」

チームで時間をかけて話し合いました。

話し合う中で、「無理に企画を立てるのではなく、でもせっかく出会ってチームになった私たちで何かに挑戦しよう、成し遂げよう」と決めました。

それが、「宣伝会議賞」への参加と、「3月の虎ノ門での再会」です。

個人的な話ですが、私は宣伝会議賞に6年前から参加しています。
初めは結果が出なくて、苦しくて、苦しくて。
やっと一次を通るようになっても、それ以上はいけなくて。
先輩に厳しく指導されながら、冗談でも比喩でもなく、泣きながら毎年書いてきました。
コピーが好きだからこそ、書けない自分が嫌いになる。
宣伝会議賞は強制じゃない。
いつでも辞められる。
でも、逃げたくない。

「賞を取って、ちゃんと卒業したいの。」

その言葉を、チームが拾ってくれました。


「企画じゃないと思うし、宣伝会議賞はチーム制じゃないけど、チームでモクモク会(同じ時間にただ黙々とコピーを書く)とか、壁にぶつかったらそれを相談したりしてみよう。」
「それで、賞を取れても取れなくても、みんなで3月に虎ノ門で集まろうよ。」

私たちは「仲良し」探しに言葉の企画に参加したわけではない。
成長したくて、ここに来た。
そして、寄せ集めから、「仲良し」ではなく、同じ目標と達成を目指す、本当の「チーム」になってきている。
今、私はそう実感しています。

この私たちの決定と思いを阿部さんに伝えるのは、緊張しました。
「チームの企画を投げ出して、ただ宣伝会議賞をやるだけでしょって思われたら。」
「阿部さんをがっかりさせてしまうかもしれない。」
そんな不安を抑えて、送ったメッセージ。
すぐに返信が来ました。

「激アツ!虎ノ門でお待ちしています。」
「「言葉の企画2020の年鑑をつくる」 → 次のSKATが、みんなの年鑑ってことでOK?」
「チームの企画、つづいていきますね!」

電車の中で、マスクが濡れるのも構わずに、私はしばらく泣きました。

そうだ。
私たちのコピー(CM)が、SKATに載ったら、それは半年間の学びと、この1か月半の間にチームで切磋琢磨して取り組んだ証=私たちの年鑑、なんだ。
名付けの力が、こんなにも実感できるときが来るなんて。

今年は宣伝会議賞に参加する企画生が多いと聞いています。
来年、SKATに企画生のコピーやCMが溢れたら、それは私たちが企画していたよりずっとずっと本物の、企画生の成長を収めた年鑑になる、と思います。
私も、チームのみんなも、1つでも多くSKATに載るよう、真剣にぶつかっていきます。

チームプリン体 ゆん

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