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その記事は「叫んで」いた。

言葉の企画2020 第5回の講義は、いつになく厳しい言葉が並んでいる、と思った。

阿部さんの口調はいつもどおり、とても穏やか。

それでも、その中にあるはっきりとある静かな叱責。

私に、私たちに足りないものって何だろう。

講義の間、メモを取りながらずっと考えていた。


講義の後、課題の記事全てを読み返した。

みんな、それぞれの大切な感情に名前を付けて、それぞれの思いを未来に繋げている。

「企画生に伝わるように、時間をかけて練って書いたんだろうなぁ。」

「この表現は、私には一生書けない。この人はいつも、羨ま嫉妬な表現するんだよなぁ。」

そんなことを思いながら、今度は阿部さんのnoteの記事を順々にさかのぼって読んだ。

なんか違う。私たちの書いている記事と阿部さんの記事は、何かが違う。

その違いの理由がわからない。

更に読む。

わからない。

更に読む。

わからない。

やっと違いがはっきりしたのはこの記事を読んだとき。

「叫んでいる」と思った。

「俺を見つけてくれ!」という叫び声がする気がした。

私の、私たちの記事になくて、阿部さんの記事にあるもの。

それはこの「叫び」だと思う。

阿部さんの記事はどれも叫んでいる。

「伝われ!響け!届け!見つけてくれ!」


私は前回の課題を企画生に伝わるように、届きますように、祈るように書いた。

「誰かに伝わりますように」って祈りながら書くのと、「伝われ!見つけてくれ!」と叫ぶように書くのでは、やっぱり受け取るエネルギーが違う。


叫ぶように書く、叫ぶように伝える。

私にはない熱量、私にはない言葉。

未知の世界だ。

だけど。

SNSへのスタンスや、性格、力量、経験の差はあれど、だからと言ってこれで「私にはできない」で引いてしまっては、言葉の企画に参加した意味がない。

次の企画は、思い切り「叫ぶ」ように書こうと思う。

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