「何もしない」が出来ない人が本当に求めるもの

こんにちは、マスミ・マーキュリーです。

最近鑑定のご依頼を受けた中から、ちょっと気になる事があったので
ピックアップしようと思います。

さて。「〝何もしない〟ができない人」ってどんな人かわかりますか?

会話の「間」が嫌いな人、
部屋をもので埋めたがる人、
スケジュールを常にパンパンにしておきたい人、
暇な状態が嫌いな人、

とにかくどのような事でも「何もしない」という事が苦手な人です。
常に自分から何かしらの働きかけをしてしまう人。
待ちの状態が苦手な人。
この人たちはなぜ「何かしないとそこに居られない」のでしょう。

「何かする」は与えるエネルギー、「何もしない」は受け取るエネルギー

「何かする」は、行動や行為する動きを指します。自分から対象に何かしらの働きかけをする事を表します。それに対して「何もしない」は、受動的、存在する事を指します。対象からの働きかけを待つ事を表します。

ザックリ大まかにいうと、私たちは日常のあらゆる場面でこの二つのエネルギーを無意識に使っています。
そしてどちらかの動きが滞ったり過剰になった時に、不調として認識されます。

「何もしない」が出来ない人は、おそらく「何かする」が過剰になってしまい、過呼吸を起こしているような状態になっている事になります。

では、なぜ「何かする」をしていないと不安になったり恐怖に駆られ流のでしょうか?

どうして「何かする」状態じゃないと不安なのか?

「何かする」ターンが自分にある事。
つまり、自分で状況をコントロールできる状態じゃないと落ち着けないのですよね。
自分で状況をコントロールできる状態じゃないと嫌ってことは、過去に誰かから自分のペースを乱された事があったり、自分の価値観を否定された経験があるのではないか?という事が予想されます。

他人の支配下になってしまった経験やその時の心の傷を、もうあんな思いは嫌だ、という反発心から主導権を握ろうとするパターンや、
その時の相手が自分にとって大事な人(大体が両親です)だから、その人の思うようにしてあげたいという優しい気持ちから、自分のことよりも他人に何かすること=善、という思い込みなどが行きすぎてしまい、それがパターン化してしまう場合などもあるようです。(昔の、「頑張る事が美徳」なども)

細かくいうとそれぞれの体験によって異なってきますが、大まかにはこのような意識のパターン化が染み付くことから、「何かする」姿勢がその人のベースになっている事が多いような気がします。
(もちろん、ここに挙げた例が全てではありません。)

どうやってバランスをとっていけばいいのか?

ではこのような人たちはどうやってバランスをとっていけばいいのでしょう。

「何かする」が過剰になっているわけだから、急に「何もしない」が出来るわけがありません。きっとソワソワして落ち着かないんじゃないかと思います。
徐々にリハビリが必要だとは思うのですが、
「自分がなぜそのような意識のパターンになってしまったのだろう」と、考えてみることは結構大事なことなんじゃないかなと思います。

何が嫌で、「何かする」を維持しないと生きれなくなってしまったのか。
何が大事で、「何かする」自分を守ろうとしたのか。

それらを見つけつつ、半強制的に「何もしない」を練習してみてください。

例えば、自分で何でも出来る女子は男性がしてくれることを素直に受け取る事が出来ませんし、「自分がした方が早い」ってすぐやっちゃいますよね。
それを、ぐっとこらえて、相手が与えようとしているものを待ってください。

「何もしない」は相手を信頼するチカラ

わたしは自分で言うのも何ですが、情報の検索力はとても優れていると自負しています。
デートでどこか行くとなれば、わたしが検索した方が「早い、的確、現状に最適」な場所やルートをすぐに出す事が出来ます。
普段の仕事でお客さんに教えたり、友達相手だったらそれは有効なのですが、デートにはその能力は向かないのです。
なぜなら、相手の出番がなくなるから。
それが分かってからは、デートの時は勿論、そのほかの場面でも時と場合によって「何もしない」を使い分ける事ができるようになりました。

「何もしない」が出来なかった時のわたしは、単に相手と張り合いたいだけ、相手より勝つ事に意識が向いていることもわかりました。
「こんなわたし、すごいでしょ?」ってアピールして好かれようとしていたんだと思います。
それって結局、自分のことしか考えてないんですよね。
自分がいかに優位に立つか。それしか考えてなかったんです。
同時に「何もしない」が出来ない状態は「あなたを信頼していないよ」というサインを送り続けていることもわかりました。
そんな人と一緒にいても、もちろん楽しくないし、安らげるはずもありません。

わたしの場合は、ですけど
そうして凄さを勝ち取っても一時的にしか満たされず、本当に欲しかったものはなかなか得られませんでした。
それは心から欲していた「安心できる居場所」だったのです。

それからはまず、自分の感じ方を信頼することから始めました。
そうすると、「今はわたしが何かする時じゃないな」という感覚が分かってきました。自分のことも信頼できていなかったのか、と正直驚きました。

「何もしない」ことは、相手を心から信頼できるチカラですし、同時に「あなたはここにいてもいいよ」という意思表示なのかもしれません。

MASUMI MERRCURY



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