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複雑極まる都区制度 権限の〝奪い合い〟の議論に終止符を|【特集】あなたの知らない東京問題[PART-5]

東京と言えば、五輪やコロナばかりがクローズアップされるが、問題はそれだけではない。一極集中が今後も加速する中、高齢化と建物の老朽化という危機に直面するだけでなく、格差が広がる東京23区の持続可能性にも黄信号が灯り始めている。「東京問題」は静かに、しかし、確実に深刻化している。打開策はあるのか——。

2108 東京問題ヘッダー

文・編集部(吉田 哲)

多くの国民がイメージする県と市町村の関係とは異なる行政システムとなっている東京都と23区の関係。この首都ならではとも言われる仕組みは権限の〝奪い合い〟という歴史的経緯で生まれている。

「東京都と特別区である23区の関係は歴史的経緯や制度の複雑さも相まって、まるで〝鵺(ぬえ)〟のような存在となり、問題点が見えにくくなっている。だが、将来的には23区の合併や再編をしなければ立ち行かなくなる可能性もあり、残された時間は少ない。真剣な議論が必要だ」

 都区制度に詳しいある有識者はこう警鐘を鳴らす。

 7月4日に行われた東京都議会議員選挙では、新型コロナウイルス対策や東京五輪・パラリンピックの開催の是非が主な争点となったが、都区制度の将来像についての大々的な議論は見られなかった。

 選挙でもほぼ争点にならないのであるから、普段から東京都民の間で東京都と特別区である23区のあり方が議論になることはなく、メディアでもほとんど取り上げられない。そのため国民の関心が高まらないのが現実だ。

 しかも、都区制度は多くの国民がイメージする県と市町村の関係とは異なり、独特な行政システムとなっている。知っているようで知られていない東京都と23区の関係を紐解いてみよう。

明治時代から脈々と続く 
区による自治とそのための主張

 まず、地方自治法の条文上、「都の区は、これを特別区という」と明記されており、同じ「区」であっても政令市の下にある区と違う。

 政令市の区長は市長が任命するが、23区は区長が選挙で選ばれ、区議会もあり、予算を執行して、条例も公布している。一見すると市町村と同じようだが、一般的に市町村が担う上下水道や消防は23区ではなく東京都が担い、他方で道府県が担っている保健所は23区が担っている。

 どうしてこうした〝ねじれ〟があるのか。それは、明治時代から続く「区」の歴史が背景にあり、時代の流れの中で都と区とで自治権が揺れ動いていたことに起因する。

 東京に「区」ができたのは、1878年。近代国家への地方制度改革の中で東京や京都、大阪に「区」を設置した。これに伴い、各区には公選の議会が設置されている。

 89年、区の区域を「東京市」としたものの、東京、京都、大阪の3市では、一部の自治にとどまっており、3市はこれを解消すべく国へ働きかけ、98年に廃止。この後、京都と大阪の区の議会は廃止されて、区の議会が置かれるのは東京のみとなった。

 時代が大正へと移り変わる中、市街地への発展によって、東京は都市としての問題に対応すべく、1932年により広い35区を管轄する〝大東京市〟が誕生した。しかし、太平洋戦争による空襲が始まる43年、「帝都防衛のため」に東京市は廃止され、国の組織下にある東京都を新設。区は都の内部的下級組織となった。

「明治時代からの自治が『区』という形を持って脈々と続いているのは東京だけ。日本全国の市町村はそれぞれの歴史や土地柄を持っているが、東京の『区』においては、自分たちが自治を担ってきたということがアイデンティティーとなっている」

 都区制度を長年研究している地方自治総合研究所の菅原敏夫委嘱研究員は語る。事実、戦時下でも区の議会は存在し続けたのである。

時代とともに変化してきた都区制度(1878年-1943年)

図版1

(出所)特別区長会事務局『特別区の現状と課題(参考資料)』などを基にウェッジ作成

戦後の民主化政策の中で
揺れる都と区の権限争い

 そうした区による自治への強い思いやこだわりが戦後、東京都へ権限移譲を求める形に変わっていく。

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