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カメラを持って巡る北九州の山と歴史

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「北九州の歴史探訪」を読み、実際に足を運んで写真と記録を残しています。時には低山登山も。
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カメラを持って北九州の歴史を巡ってみた - 河内貯水池・沼田泰子記念碑

北九州市八幡東区には、建設当時「東洋一」の規模だった河内貯水池があります。 貯水池やダムができる前は、どんな姿だったのか。 工事する時には、どんな苦労があったのか。 たくさんの歴史があったはずです。 今回は八幡東区の河内貯水池とその周辺を、いつもと同じように「北九州の史跡探訪」をもとに、巡ってみました。 河内貯水池とは13番 河内貯水池 河内貯水池は八幡製鉄所の水源設備として、大正八年五月に起工し昭和二年一月から運転を開始し、足かけ七年余りを費やした大工事であった。

カメラを持って北九州の歴史を巡ってみた - 王子宮の神籬磐境(ひもろぎいわさか)跡

もう出版されていない本「北九州の史跡探訪」を手に、北九州の歴史を巡っています。 今回は4ヶ所目です。 北九州市八幡西区、一宮神社に残る史跡に足を運びました。 古代祭場の磐境跡とは古代祭場の磐境跡 今日の神社の鳥居の姿は、鳥居があって、拝殿があって、神殿があるのが普通一般的である。しかし、社殿が創建されていなかった悠遠のむかし、岩石を立て並べ、あるいは円形なり、方形なりに敷き並べて祭場とした。 王子宮のこの地で祭儀が行われていたのものであろうと思えば、全国的にも数少ない古

カメラを持って北九州の山と歴史を巡ってみた - 皿倉山祈願塔

皿倉山には不思議な場所が2箇所あります。 ネットでも、本でも。 情報が少な過ぎるように思うのです。 一箇所目は、煌彩の森コースを通って、巨石と看板が目印です。 階段をのぼった右手には。 巨木の根っこに小さな石仏たちが現れます。 よく見ると、新しい石仏も、古い石仏も混じっています。 右端の石仏の首付近には切れ目のような線も見えます。 ここがどういった場所なのか、皿倉山のホームページにも、北九州市のホームページにも見当たりません。 さらに山頂方面に進むと、赤い布

カメラを持って北九州の歴史を巡ってみた - 長崎街道 曲里の松並木・さいの神

偶然見つけた古い本「北九州の史跡探訪」。 それを読んで、実際に見て形に残したいと、前回の記事で書きました。 今回は、その続きです。 本に載っている場所に行ってみました。 「長崎街道、曲里の松並木」と「さいの神」様本で紹介されていた「松並木とさいの神様」。 今まで松並木には何度か訪れていました。 松並木とさいの神様  今はわずか四本を残す松並木、それでも、昭和三五年九月、岸の浦三丁目の国道二〇〇号に至る約一粁の間には、東側二六本、西側二四本合わせて五十本の松並木があ