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【ショートショート】おろかな人。

※2021年10月13日にタイトルを『ばかな人』から『おろかな人』へ変更しました。

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 その若い男は、困っていた。

 ガールフレンドとのデート中に買った宝くじで6億円もの大金が当たったのだが、彼は嬉しくて嬉しくて、思わずSNSで「6億円当たった!」とつぶやいてしまった。

 若い男のつぶやきは、ガールフレンドが見ていた。彼女は彼のつぶやきに向けて書き込んだ。
「あなたは私とのデート中に買った宝くじなのだから、私も半分もらう権利があるわ」

 若い男は「しまった・・・」と思った。

 若い男の「6億円当たった!」というつぶやきを見た人物は他にもいた。若い男の親友だった。
「俺にも半分もらう権利があるぞ!」

 宝くじを買った日、若い男はこの親友と会う約束をしていたが、若い男のガールフレンドがデートしようと誘ってきたので、親友は快く身を引き「ガールフレンドとのデートを楽しんで」と言ってあげたのだった。
「俺がガールフレンドとのデートを許してあげたのだから、俺が譲らなかったら当たってなかっただろう」
 親友も、このことをSNSでつぶやいた。
「かくかくしかじか、俺にももらう権利がある!」

 そのつぶやきを見た親友のガールフレンドが怒って、さらに彼のつぶやきに書き込んだ。
「あなたがもらえるなら、私にだって権利があるわ!デートの費用はいつも私が出しているじゃない!だったら私ももらう権利があるってことよ!」

 それだけでは終わらなかった。〈6億円が当たった〉ということが、SNSで拡散されると、若い男を乗せて宝くじ売り場まで運んだと主張するタクシー運転手が、「私ももらう権利がある」と言い出した。

 また、その騒ぎを知った宝くじ売り場の店員も、「その1枚を選んで売ったのは私よ。私が選んであげたから当たったのよ。だから私にも受け取る権利があるわ」と言いだしたのだ。

 若い男の「6億円当たった!」という書き込みは瞬く間に拡散されて、次々に「私にもらう権利がある」と主張する書き込みが加えられていった。

 若い男は、困り果てた。ひと言発したつぶやきは、すでに次つぎにコピーされて、手の施しようがなかった。家から出るのも怖くなって、彼は母親に相談した。

 母親はSNSで騒ぎになっていることなど知らなかった。息子の話を聞いて、助けをくれるどころか、まくし立てて言った。
「あなたを生んで育てたのは私よ!私が生んで育てなかったら、あなたは存在していないし、宝くじに当たることもなかったでしょう。だから全部よこしなさい!」
 若い男の持っていた当選宝くじは、母親に奪い取られてしまった。

 若い男は、母親と離婚した父親へ連絡し、ガールフレンドと親友だけでなく、多くの人びとが、金をよこせと言っていること、その宝くじを母親から奪われてしまったことを告げた。
 父親は、元妻の顔など見たくもなかったが、息子がかわいそうになり、母親に会って奪い返してやろうと言った。
 それを聞いて、若い男は喜んだ。
「やっぱり父さんは頼りになるよ」

 その日の夜になって、若い男の父親は元妻の家へやってきた。
 若い男は、父親が来ることを母親には伝えてなかったので、母親は玄関を開けて驚いた。

 父親はずかずかと家の中へ入り、元妻の顔に自分の顔を近づけて怒鳴った。
「宝くじの金は私にももらう権利がある!きみ一人で息子を作ったわけじゃない。さあ、独り占めせず私にもよこすんだ!」

 若い男は驚いた。父親は母親を説得してくれるどころか、元夫婦の大ゲンカが始まった。

 みんな、金に目がくらんでいた。

 その隙をついて、若い男は母親のカバンから当選宝くじを抜き取った。夜だったけど、手元に戻った6億円の当選宝くじを握りしめて、何とかなると思えてきて、家を飛び出した。

 ところがどうにもならなかった。町じゅうの人びとが、若い男の6億円を奪い取ろうと狙っているように感じられ、怖くて銀行にも入れなかった。

「まいったなあ。こんなはずじゃなかったのに」
 若い男は困っていた。しばらく家に帰れず、衣服は汚れ、食べ物もろくに口にしていなかった。彼はとある橋の下で膝を抱えて泣いていた。

 すると、若い男に気づいたホームレスの老人が近づいてきて言った。
「どうして泣いているんだい?」
 若い男は悲しくて悲しくて、事情を話した。

 ホームレスの老人は言った。
「そういうことか。私は金に興味がない」

 金に興味のない人間などいたものか!若い男はひらめいた。

 この老人なら誰も大金の当選宝くじを持っているとは思われない。実際、ホームレスの老人は、町の誰にも相手にされていなかった。ときどき気まぐれに小銭をくれる者がいるくらいだったが、金などなければないでホームレスの老人は生きて来られた。

 金に興味がないだなんてちょうどいい。こんなホームレスの老人なら奪って逃走することもできやしないだろう。若い男はホームレスの老人に換金を頼むことにした。

 ホームレスの老人は、毎日特にやることもないので、快く若い男の頼みを聞いてやった。若い男は久しぶりに、金に興味のない老人の隣りでぐっすり眠った。

 さて、早朝から2人は銀行に向かい、ホームレスの老人は銀行へ入り、若い男は銀行の入り口が見える離れた場所で待っていた。

「大金だからな、換金までに時間がかかるだろうな」
 若い男は楽しみにしながら、何時間も待っていた。

 ところが、銀行が閉まる頃になっても、結局ホームレスの老人は銀行の入り口から出てこなかった。



 ホームレスの老人が宝くじを見せると、窓口の店員はうやうやしく銀行の奥に通した。見た目でお客様を判断してはいけないと教育されていたので、誰もが笑顔でホームレスの老人を迎えた。

 ホームレスの老人は換金の方法など詳しいことがわからなかったのだが、若い男に「銀行員の言われるとおりにすればいい」と言われていたのでそのとおりにした。

 ホームレスの老人はその銀行に口座を持っていた。

 唯一身元証明で持っていたマイナンバーカードとその口座の住所が一致したので、宝くじの6億円のうち100万円だけ直接受け取り、残りは速やかにホームレスの老人の口座へ移された。そのように銀行員が配慮した。

 そして、ホームレスの老人は銀行の裏手の通用口から見送られ、そのまま洋服店で衣服を買って、近くのホテルでシャワーを浴びて髭を剃り落とし、新しい服に着替えた。

 ホームレスの老人は気が変わってしまった。若い男はそのホームレスの老人とすれ違ったことに気がつかなかった。

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