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なにもかも知らずに痛かった.


生きてると良くも悪くもたくさんの知識や
言葉、感情などが自分の中の辞書に増えていく.

その全ては物心がついた頃から家族や
学校での友達、職場での同僚、他にも
色々な人から日々学び吸収して生きている.

喜んだり、嬉しかったり、悲しんだり、怒ったり
心をたくさん動かしながら毎日が進んでいく.

人によって感じ方も違えば生きてきた
環境はもちろん違ってくる.
ある人が高校生の頃に知ったことを
他の人は成人してから知ることもある.

私は歳を重ねて大人に近づいたり
大人になるほど色々なことを知るほど
「知らないままで生きていたかった」と
思うことがありすぎる.

“普通”って言葉は人によって違ってくるので
あんまり使いたくはないが世間一般の“普通”に
満たないものを今まで自分の中の“普通”だと思っていた.

だけど関わる人が増えていくと私の持っている
“普通”は多くの人の“普通”ではなかった.

自分の持っている“普通”は
多くの人にとっての“異常”だった.

家庭環境や考え方、捉え方、全てが違っていた.

今までは自分の持っている“普通”と
多くの人が持っている“普通”に
さほど大きな差はないと思って生きてきた.

でも、今ならわかる.

大きな差があるとそしてその差は埋めようと
足掻いてもなかなか埋まらないということ. 

間違っている人に正しいことを伝えるのが
いつでも正義だとは限らないと、良かれと思い
正しさを振りかざすと人を傷つけることが
あるということを知ってしまった.

多くの人が持っている“普通”の認識なんて
知らないままでいたかったと感じる.
知らないままで生きていればこんなに苦しくならずに
いられたのではないかと思ってしまうんだ.

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